出版社と書店はいかにして消えていくか

出版社と書店はいかにして消えていくか―近代出版流通システムの終焉
出版社と書店はいかにして消えていくか―近代出版流通システムの終焉
前日、小田光雄図書新聞講演テキストをコピペ引用していましたが、小田さんからの指摘で論創社版『出版社と書店はいかにして消えていくか』に収録されているとのことです。
僕は「ぱる出版1999年版」のものしか読んでいなかったので、気がつきませんでした。
ここにお詫びと修正をしておきます。この講演に興味のある方は論創社版2008年で読んで下さい。
上の書影では、左側が「ぱる出版」、右側が「論創社」版です。タイトルが同じなので、
間違いないように…。しかし、9年目で更新されたわけで、追記が沢山あるんでしょうね。
でも、流れでスクラップから一部、コピペさせて下さい。m(__)m
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お返しに2005年にアップした僕の関連アーカイブを:言葉とお金 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」からちょいと引用。
前日の「文明と野蛮性」の文脈で「再販維持制度」について考えていこうと思います。再販維持制度を守るにおいて故江藤淳がよく言ったことですが「日本の文化を守る」というアナウンスでした。
 雑誌『本とコンピュータ/1999年秋号』に『出版社と書店はいかにして消えていくか』(ぱる出版)を上梓した小田光雄が「出版業界のタブーを解体せよ」というコラムを書いて(18頁)いますが、僕はこの本で眼から鱗が落ちる思いでした。読みやすく、隠し事をしないで書かれたもので業界人に留まらず一般読書人にとっても刺激的で啓蒙に満ちたものでした。小田さんが言うように

私も出版社の人間として安全地帯から発言しているわけではないので、出版業界から袋叩きにされ、業界から追放されるのではないかという覚悟で、本書の刊行を決意した。/しかしこの異例とも思われる売れ行きとその波紋は、出版業界がこのままでは壊滅してしまうのではないかという私の強い危機感に対し、出版社の側からばかりでなく、取次や書店の現場でも共鳴してくれている証しであるように思われる。/本書の分析によって、再販制と委託制による出版社・取次・書店という近代出版流通システムはすでに崩壊していることが明らかになった。取次や書店の現場において、ポスト近代出版流通システムへの模索がようやく始ろうとしているのではないだろうか。

 この力作は江藤淳に読んでもらいたかったと小田光雄は【付記】で書いている。偶然にも本書の書評が初めて掲載されたのは『文学界・九月号』の江藤淳・追悼特集号でした。多分、故江藤は本書で内実を知り、その隠蔽された一枚下の現状に絶句して江藤淳としての誠実さで違った言葉を発信したと思う。
 例えば、アメリカ合衆国において国民個々は前日論じたような文明の裏に潜む野蛮性に蓋をした上でアメリカ型民主主義を構築する。しかし、言論はそもそも、その隠蔽されたものにも果敢に言及するからこそ言語であってそうでなければ、単なる記号でしょう。記号であるなら貨幣がもっとも抽象性、普遍性、流通性があり、記号の最たるものでしょう。野蛮性を隠蔽した言葉なんて、所詮、お金の言葉性(記号)に劣るのは自明です。野蛮性を外部に追いやって文化云々の再販維持は酒落臭いのは当然だとしても、隠蔽工作でいかにも言葉が貨幣より価値があるみたいな言い草がぼくにはどうも腹立たしいのです。
 蓋を剥がして地獄も厭わぬ覚悟の言葉を守るというなら、その言葉はお金より偉大かもしれない。そうでなければ、お金と同じ地平なのです。だからニセ札つくりとしての本が大量に生産される。
 そのことを直視した上で再販維持制度の問題を考えたいものです。常日頃、地獄に対峙しないで虚構の「言論の自由」を声高に主張する輩ほど、「正論の言論の自由」を安売りする。言論の自由のないところで商売に徹したビジネスとして本つくり新聞つくりをしているんだと居直ってもらった方がまだ風通しがよい。勿論、そのシーンでは再販維持制度なんて邪魔でしょう。極論すればそういうことです。