キラキラ光るtwitter

われ逝くもののごとく (講談社文芸文庫)酩酊船 森敦初期作品集 (講談社文芸文庫)対談・文学と人生 (講談社文芸文庫)浄土 (講談社文芸文庫)
独特老人
twitterって『月山』の森敦の言うように「キラキラというのは、現れたと思うと消え、消えたと思うと現れるからキラキラなんです。キラキラの一人に僕はなっているわけですよ。」
キラキラキラキラ……………

注連寺の横に梵字川という川があるんですよ。それは、湯殿山の温泉から湧き出たきれいな川なんです。その川がキラキラと光っているわけですね。『われ逝くもののごとく』という題名は、もともと「逝くものかくの如きか、昼夜をおかず」という孔子の言葉からとったものです。そんな言葉は、孔子のように、人生とか歴史を体感できる人が言うことで、われわれから見れば、キラキラ光っているだけなんです。キラキラというのは、現れたと思うと消え、消えたと思うと現れるからキラキラなんです。キラキラの一人に僕はなっているわけですよ。だから「われ逝くもののごとく」なんです。孔子まではとてもじゃないが僕には行けんけど、キラぐらいはできるんじゃないかと思んです。それで、僕の生活そのものが「われ逝くもののごとく」の生活、ヴァレリーの「テスト氏」みたいな生活、浮身で生きとったわけですからね。般若心経の最後の方に「ギャテギャテハラソウギャテ……」という合唱する部分があるんですが、あれは「行かんかな行かんかな、彼岸に行かんかな」ということですから、だから孔子が考えたのがこういう横軸だとしたら、それと直角に交わるところの縦軸が般若心経なんです。だから、仏教と儒教は九十度回転させると同じ。九十度ちがう。それで一方は道徳になり、一方は宗教になる、そういうことなんです。小説の一番最後に、演説してる先生が出てきますけど、その先生の口からそれを言わそうと思ったんですよ。思いついたんですね。そんなばかなことを言って酒飲んでる場面にしようと思ったんですが、『カマラゾフの兄弟』の中に出てくるロバチェフスキーの平行線論のことを思い出して、あれの真似だとか言われると嫌だから、これはやめようと思ったんです。今は、もう一度書くべきかとも思うし、やめたんだから、それでいいじゃないかとも思っています。ー後藤繁雄編著『独特老人』「笑え、ゴール人のごとく森敦」よりー

twitterのつぶやきは「ギャテギャテハラソウギャテ……」のようなものでもあるかもしれない。