話すこと/書くこと

大遺言書 (新潮文庫)
森繁久弥が亡くなりましたが、映画、舞台もさることながら森繁のNHK「日曜名作座」のラジオ朗読や「葉っぱのフレディ いのちの旅」など声の贈り物がありましたねぇ。
特にこのブログはそもそも「葉っぱのフレディ」の葉っぱから触発されて「葉っぱ」のBlogになった由縁があるのです。
僕にとって、テレビがない時代に徳川夢声森繁久弥の語りはラジオの前に釘付けになる時代(昭和20、30年代)を経て、テレビ時代になっても時々NHKやCDで徳川夢声亡き後、森繁久弥の<声のシャワー>を浴びたくなりましたねぇ。
偶々、講演、朗読、などのトークの音源をテープに起こして文字化する作業をしているいわゆる「テープ起こし」というお仕事をなさっている「とみきち」さんが、その仕事の説明をするのに、的確な表現がないかとブログに悩みをアップしていました。
「声」を書き言葉に書き起こす時、噺家もそうですが、徳川夢声の「宮本武蔵」にしても森繁の朗読にしても「声そのものの官能」がある。文字化した時、削ぎ落とされてしまう。
そのあたりの問題意識もあるのでしょうか?
W-J・オングの『声の文化と文字の文化』を紹介して僕的にはアカデミックな表現だけど「声の文化を文字の文化に変換する作業」者(マイスター)とコメントしたが、それを切っ掛けにして積ん読になっていた本書を読み始めるとなかなか刺激的です。一部を引用してみます。声の文化と文字の文化

 こんなにも臆面もなくきまり文句を駆使し、あらかじめ出来あいの部分で組み立てたような詩が、それでもやはりすばらしいのは一体どうしてなのか。ミルマン・バリーはこの問いに正面から答えようとした。後世の読者たちが大体において軽んじるようにしつけられてきたもの、すなわち、慣用句、きまり文句、紋切り型の修辞、もっとはっきり言えば、陳腐な常套句が、ホメロスの詩で重んじられ、ともかかくも利用されているというこのいまや周知の事実を、もはや否定するわけにはいかなかったからである。
 この点に関するさまざまな問題のいくつかは、のちにエリック・A・ハヴロックの仕事によって細部にいたるまで解明された(Havelock 1963)。ホメロス時代のギリシャ人がなぜ陳腐な常套句を評価したのかといえば、たんに詩人だけではなく、声の文化に属する〔人びと〕認識世界 noeticworldないし思考の世界の全体が、そうしたきまり文句的な思考の組み立てに頼っていたからである。ことばがもっぱら声であるような文化においては、いったん獲得した知識は、忘れないように絶えず反復していなくてはならない。知恵をはたらかすためにも、そしてまた効果的にものごとを処理するためにも、固定し、型にしたがった思考パターンがどうしても欠かせなかった。しかし、プラトン(427?-347B.C.)の時代までには、ある変化がすでに起こっていた。というのも、〔この時代までに〕ギリシャ人は、ようやく書くことを自分のうちに実効的に内面化interiorizeしたからである。ギリシャのアルファベットがおよそ紀元前720年から700年ころに作られてから、ここにいたるまで数世紀がたっていた(Havelock 1963.p.49--Rhys Carpenter の引用)。記憶をたすけるきまり文句のなかにではなく、書かれたテクストのなかに。知識をたくわえる新しい道が開かれたのである。このようにして、精神は解き放たれて自由になり、より独創的で抽象的な思考をめざすことが可能になった、ハヴロックが明らかにしているように、プラトンがその理想国家から詩人を排除したのは、(たとえプラトン自身ははっきりとそれを意識していなかったとしても)本質的には、かれが、自分は、書かれた文字によってかたちづくられた新しい認識の世界に属していると思ったからである。この新しい世界のなかでは、伝統的な詩人のだれもが愛用していたきまり文句や陳腐な常套句など、もはや、ものをつくり出すものと邪魔になる、時代おくれの遺物だったのである。
 理想化された古代ギリシャの一部としてのホメロスに、みずからを緊密に一体化させてきた西洋文化にとっては、上述のことがらはいずれも、心穏やかならざるものである。上述のことがらのうちに示されているのは、われわれが悪徳とみなしてきたものを、ホメロス時代のギリシャは、詩的で知的な美徳としてはぐくんでいた、ということである。さらに、ホメロス時代のギリシャと、プラトン以降の哲学が表現しているすべてのこととの関係は、たとえ表面上どんなに親密で連続的であるようにみえても、実際には、深い対立関係にたっていた、ということである。たとえそうした対立が、意識的というより、むしろ無意識的なレベルでのことであったとしても。こうした葛藤が、プラトンの無意識を悩ませていた。というのも、『パイドロス』や『大七書簡』のなかで、プラトンは、書くことに深刻な留保を表明していた。つまり、書くことは、知識を処理する手段としては機械的で非人間的であり、〔書かれたものは〕尋ねられても即座にこたえられず、記憶力をそこなわせるものだ、というように。しかしそれにもかかわらず、われわれがいまや知っているように、プラトンがそれをもとめて戦った哲学的思考とは、この書くことに全面的に依存していたのである。ここで進行していたことの意味がこのようになかなか気づかれなかったということは、驚くべきことではない、〔なぜなら〕古代ギリシャ文明が全世界に対してもっている重要性が〔このプラトン時代に〕まったく新しい光のなかであわわれはじめていたからである。つまり、深く内面化されたアルファベットの読み書き能力が、声の文化とはじめて真っ正面からぶつかりあった時点、人類史におけるまさに決定的な時点を、古代ギリシャ文明は通過していたからである。そして、プラトンの不安はあったものの、こうしたことがいま目の前で起こっているということに、当時は、プラトンのみならず他のどんな人間もはっきりとは気づかなかったし、また気づくこともできなかったのである。(p57-p59)

僕の大好きな作家、演出家で久世光彦について、2004年にこんなことを書いていました。
《久世さんは、クリシェ(紋切り型表現)を意識的に文体に取り込み、そのパッチワークの妙で久世美学を織り込んでいるのだと思う。その職人芸を楽しむことで、久世本に登場する様々な人々が曼荼羅に生きてくる。近代文学とは違うのです。でも、演歌でもないなぁ…。昭和初期ロマンのジャパネスク、郷ひろみの歌かな、今、CMで流れているみたいですね、ジャ、パァ〜ンって、久世光彦演出のテレビドラマは、よく観ましたね。》
紋切り型表現って、声の文化に深く通底するのでしょうねぇ。
その森繁さんとの共著が『大遺言書』ですねぇ。