不幸の最小化

近くの公園で国会中継をラジオで聴きながらウォーキングしていました。
二時間近くの歩きですが、AMの片耳モノラルは両耳で音楽を聴くのと違って自分の雑念と伴走しながら、淡々と国会中継を気楽に聴くことが出来ました。アホなやりとりをやっているなぁと時として合いの手を入れながら一万歩以上歩いていました。
でも、束の間神経が尖ったのは、菅直人の「不幸の最小化」*1って言うメッセージでした。菅直人は政治家が出来ることはユートピアを語ることではなく、出来る限り『不幸の最小化』に努めることである。若い頃、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』読んだ時の驚きを語り、「不幸の最小化」という菅直人の政治哲学が生まれたと言う。僕は寡聞にして知らなかったのですが、ネットにも過去の「不幸の最小化」についてのデータが結構ありますねぇ。
僕の記憶では、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』を1968年に早川書房のSF全集で読んでいます。多分、管さんもこの箱入りのSF全集で読んだのでしょう。僕はこの全集を予約して全巻揃えるのを楽しみにしていました。でも、今、僕の書棚に一冊もありません。処分したのです。
当時はヨコハマの本屋にいたから自分でもこのSF全集を力を入れて売っていた記憶があります。
でも、本屋をやめて三鷹に住んだのですが、偶々菅直人が新人無所属として僕の選挙区で総選挙に立候補したのです。そして、彼の鮮烈なデビューに惹かれて清き一票を投じた。40年近く前の話になるのですか、その頃から「不幸の最小化」を政治哲学にしていたのだったら、僕の一票は的はずれではなかったと、今にして思い至りました。
三鷹には一年しかいなかったから、一回きりの投票でしたが、見事当選したわけです。
と勘違いしていました。1976年の僕の投票は実を結ばなかったのです。wikiによると、1976年の第34回衆院選に東京7区(当時)から無所属で立候補し落選したが、こうした活動が江田三郎の目に止まり、誘われる形で社会市民連合に参加。 1977年の第11回参院選では社会市民連合から出馬したがまたも落選し、1979年の第35回衆院選では社会市民連合から名称を変更した社会民主連合から出馬し、またも落選したが、1980年の第36回衆院選で初当選。となり、僕の記憶を修正します。まてよ、三鷹に引っ越ししたのは1980年かもしれない。そうだとすると、30年前の話で僕の一票は実を結んだのだ。まあ、些細なことだから曖昧なままにしておきます。
それはそれとして、今日の国会中継で聴いた菅直人の「不幸の最小化」についてもっと知りたいと思いました。
政治家が精々出来ることは「不幸の最小化」ぐらいで、大口を叩いて理想を語る、ユートピア構想には眉に唾してかかれと、肝に銘じてる僕にとってシンクロ出来るところがあるのかもしれない。

最小不幸社会
私は、政治の目標は「最小不幸社会の実現」と考えています。国民の中には、「不幸」に遭遇している人がいます。そして、人々の「不幸」になる原因は様々です。その原因を政治の力、つまり「権力」で取り除けるものはできるだけ取り除き、不幸を最小化すること、それが政治の目標だと思います。 
なぜ「最大幸福」と言わないで「最小不幸」というかと言えば、病気や貧困といった不幸の原因は、相当程度政治の力で取り除くことができますが、「幸福」のかなりの部分は、恋愛や美意識といった政治という「権力」が関与すべきでない分野の問題と考えるからです。一部の人が無理に「幸福」を押し付けようとして権力を使うと、そこには一種の強制や独裁が生まれます。政治権力は、人の生死をも左右する強制力を伴うものだけに、その行使は人々の「不幸」の原因を最小化することを目標とすべきであり、美意識のような個人的選好に属する「価値」の実現を目標とすべきでないというのが、私の政治に対する基本的哲学です。 
最小不幸社会」というと何か弱々しいイメージを与えるかもしれません。しかし、私が皆さんにお伝えしたい考えはそういうものではありません。むしろ、多くの人々の不幸を最小化するためには、政治権力を使うことを辞さない決意です。治安と防衛もその一つです。「最小不幸社会」の実現のためには、国民のみなさんを犯罪、侵略、テロから守ることは当然です。最低限の政府の責務といえます。国民の生命と財産を守るためには、国家にとって適切な警察力と防衛力は欠かせません。
また「最小不幸社会」というと「福祉国家」的な大きな政府を連想する人がいるかもしれません。しかしそれも正確ではありません。自立した個人には、規制の緩和された自由な経済市場や社会の中で、その力を存分に発揮していただきたいと思います。しかし、個人の責任ではない原因によって困難な状況に陥った人には、政治の力で手をさしのべるべきだと考えます。そうした観点から、たとえば、天災や犯罪に巻き込まれた被害者の救済などには、積極的に取り組むべきだと思います。
今日の中小企業、零細企業のみなさんの困難な状態や失業者の困窮は、これまでの経済政策の失敗が大きな原因です。したがって、困難と立ち向かい、新たな出発をめざして努力しているみなさんへの支援は、これからの「政権」の大きな責任だと考えています。
雇用問題は単に経済問題であるだけでなく、人間の尊厳を失わせかねない大きな問題です。これからも連合のみなさんとも十分連携をとりながら、取り組んでゆく覚悟です。
http://www.dpj.or.jp/sub_link/info_mailmag/bk_mailing/vol116.htmlよりー