書籍データは誰のものか

今朝の毎日新聞の「時代の風」は桐野夏生が「電子納本をめぐって」で、「書籍データは誰のものか」という問題提議をしている。このコラムで言及している作家たちが立ち上げた「e-NOVELS」という団体のその後がどうなっているのか気になります。
大阪の社会労働専門図書館エル・ライブラリーでは膨大なデータが収録された『大阪社会運動史』が続刊中ですが、かような書籍データこそ、ネットの特徴を生かした提示の仕方があるのではないか。図書館、出版流通全体のシステムの中で結局、著作権者も含めてwin-winの関係になれると思う。
もっと、各関係者が長いスパンで議論する土俵があってもいいのかもしれない。特に大取次、大出版社が腰が引けている感じがして仕方がないです。
時代の風:電子納本をめぐって=作家・桐野夏生 - 毎日jp(毎日新聞) 時代の風:電子納本をめぐって=作家・桐野夏生 - 毎日jp(毎日新聞)

一週間前、文部科学省中川正春副大臣が、世界のデジタル化に遅れを取らないために、国会図書館に「電子納本」を義務づける必要がある、と語った記事を読んだ。
 中川副大臣が言うように、出版物の電子データをそのまま納本すれば、デジタル化という手間が省けるのは確かだ。が、不安もある。そう簡単にいくのだろうか、と。(略)
 つまり、出版物になる寸前のデータは、著作権者のものか、出版する出版社のものか、はたまた印刷所のものか、という議論だった。勿論(もちろん)、作家がいなければ作品は生まれない。が、出版社がなければ、編集作業はできない。印刷所のハードやソフトがなければ、データも作れない。
 それぞれにコストがかかっているが故に、出版社も印刷会社も退けない。流通や書店だって、作家が直販すれば困るだろう。が、その時点で、結論は出なかったと聞いた。
 中川副大臣は、著作権者や関係各社の許諾を得たのち、著作権使用料を利用者から取る団体「制御機関」を作る、としている。しかし、私たち作家には、そのような動きのあることも、そんな団体が出来そうなことも知らされていない。国立国会図書館の納本に関してなのだから、今後、すべての著作権者に意向を問うてもおかしくはない。
 私はデータのすべてが自分のものだと主張する気はまったくない。グーグルの専横にも怒りを感じている。ただ、諸問題や関係を早急にクリアにしてほしいとだけ願っている。グーグルの時のように、いきなり可否を問われてもわからないから困るのだ。知らないうちに既成事実が積み上がっていくのも屈辱だ。その前に誰かちゃんと教えてほしい、何が起きているのかを。