屁爆弾さん、記憶(4)

屁爆弾さんの≪… 自分が鈍感なら読者も鈍感、自分の規範は他人の規範、自分に面白い本なら他人にも面白く、自分が善意なら誰にでも通じる、というように無成長な自分レベルを軸にしながら読者=仲間、読者=生徒的な想定枠の中でいつまでも安心したがる人の気配に傲慢な焦げ臭いものを嗅ぐ。≫に関してのコメントから…
2005-11-01 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」

屁爆弾 2005/11/01 22:21
私などの雑文をお気持ちにひっかけていただいてありがとうございます。「書き方や言葉の用い方」については私にとってたえず振り返る必要のあるものですが本当は「もう、これでいいや」と思ってしまいたい。自分を疑うというのはシンドイ作業だから(笑)。でもそのシンドイ作業をしている人の文章にはどこかに「重石」がありますね。どなたの文章読本だったか忘れましたが「それはどういう意味ですか?」と人から問われた時に即答できるような文章を心掛けたい、とその著者は書いていました。私も自分なりにそれを見習っています。下書きができたら、ひとつのパラグラフごとに「それはどう意味?」「だから何?」の二つを問いながら見直して、即答できないようならそこが他人の目から見てわかりにくい箇所、意味が通りにくい箇所だと心得る。他の言葉を探しながら「これで意味が通る」と思えるまで書き直す。自分が納得できる言葉を探し出せた時にその言葉は自分の腹に入る。そのようにして書いた文章には自分の体重が乗っかる。と、自分では思いたいんですが他人の目にはなりきれないからそれはやっぱりわからないです(笑)。葉っぱ64さんは「ご自分しか書けないこと」を持っていらっしゃるかただと私は思っています。「ひきだし」をたくさん持っておられるし、枝葉が豊かです。葉っぱ64さんが気にしておられる「浮き」は言葉のせいではなく、たぶん一度にたくさんの「ひきだし」を開けてしまわれるからです。だから「最重要の一点」がかすんで「浮く」ように感じられるのではないかと。
生意気な感想を加えてごめんなさい。

僕が沢山引き出しを持っていることは買いかぶりです。「知のリソース」が貧しいから、一度に手持ちの引き出しを開けてしまうのかもしれない。「知のリソース」が豊かなら、そんな目眩ましをしないで、「最重点の一点」のみを選択して言葉を編むのであろうが、そんな中心がないから「不安の揺れ」で「浮き」になってしまうのかも知れない。
それはともかく、屁爆弾さんは真摯にコメント批評してくれる。そのことが嬉しいですねぇ。