内田樹の「首相辞任」について、

大澤真幸THINKING「O」第2号

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首相辞任について (内田樹の研究室) 首相辞任について (内田樹の研究室)

民主党政権は8ヶ月のあいだに、自民党政権下では前景化しなかった日本の「エスタブリッシュメント」を露呈させた。 結果的にはそれに潰されたわけだが、そのような強固な「変化を嫌う抵抗勢力」が存在していることを明らかにしたことが鳩山政権の最大の功績だろう。

内田さんのこの分析を読むと「ぴったしかんかん」っていう感じです。
このような状況認識、歴史認識は「大声」では言わないかもしれないが、あたりまえのこととして結構、共有していたのではないか、
少なくとも僕の周辺でも「わかっていた」人が多数のような気がする。
ただ、わかっているが、小泉のようにニヒリスティックな振る舞いになってしまう。そんな小泉の闇が人気の一端にあったかもしれない。実際、小泉は自民党をぶっ壊して民主党に政権を渡したニヒルな功労者とも言える。
小泉にはアナーキーなニヒリストという匂いを感じるが、小沢一郎にはアナーキーな翳りは感じない。そこが小沢の長所であると同時に弱点だったかもしれない。「建設と破壊」は常に一対です。
リアリストで鳩山さんのようにナイーブさの欠片もないニヒルな強かさがあるが、鳩山さんとはいい組合せだったかもしれない。
しかし、この国の戦後はまだ終わってないんだねぇ。
僕の命が消えるのと、戦後が終わるのはどちらが早いか、
予測では益々僕の命の方が早いと思う。
★僕の旧ブログ「歩行と記憶」のアーカイブをキーワード「小沢一郎」で検索してみました。
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こぼ from mixiこぼ from mixi 2007/10/15 01:03(コメント欄より)
 日記のごく一部分に対してだけのコメントになってしまいますが、私はあんまり小沢先生が『世界』に登場することに違和感を感じないんですよね。参院選で前面に据えた年金・農業・子育ての骨格となる政策は90年代末の自由党時代には出来上がっていたものですし、また、27歳で初当選して以後、小沢後援会の季刊会報誌のタイトルは『暮らしと政治』であることからも分かるとおり、ずっと社民主義的な理念を織り込んで政治をしてきた彼を、タカ派だと罵倒してきた当の左派論壇誌がようやく正当に評価するようになっただけのことだと思います。

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こちらの↓テキストに雑誌『世界』に収載された小沢論文について書いていました。世界 2007年 11月号 [雑誌]
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話が飛びますが、憲法解釈は悩ましい問題です。pataさんのブログで「『世界』小沢論文について」に触発されて、記憶にないくらい、多分、何十年ぶりかで、「世界 11月号」を買って読みました。(図書館で時々は読んでいたから、別段買う必要はなかったのですが、本屋で中々手に入らなかったというpataさんのコメントがあったから、買っちゃえ!てなったのですw)。
 小沢の解釈は良し悪しの判断は置くとして明快です。

つまり、個々の国家が行使する自衛権と、国際社会全体で平和、治安を守るための国連の活動とは、全く異質なものであり、次元が異なるのです。国連の平和活動は国家の主権である自衛権を超えたものです。したがって、国連の平和活動は、たとえそれが武力の行使を含みものであっても、日本憲法に抵触しない、というのが私の憲法解釈です。

 勿論、国連の要請ではなく、アメリカの要請なら違憲であるのは当然。イラク特措法の根拠とされている国連決議1483号(2003年5月採択)は、米英の治安維持を認めただけであり、多国籍軍の設置をオーソライズしたものではありませんとして、

私の主張は、国連の決議に基づいて参加する活動は日本憲法に抵触しないということですが、合憲ならなんでもやるということではありません。国連の決議があっても、実際に日本がその活動に参加するかは、その時の政府が総合的に政治判断することです。それは政治のイロハです。