菅直人首相誕生「不幸の最小化」

大臣 増補版 (岩波新書)
菅直人 市民運動から政治闘争へ 90年代の証言
菅直人の履歴を改めて見たら、昔のことを思い出した。
1976年頃って、僕も三鷹下連雀に住んでいたんだよね。
当時、市川房枝の事務所から、菅直人が出馬したわけでしょう。
市民派」という言葉に、斬新のイメージがありました。
僕はデビューした菅直人に文句なく一票を投じた。
落選したけれど、次の、次も落選したわけでしょう。
そんな長い履歴があるから、僕より年上だと思っていたら、
1946年生まれで、僕より若い。まだまだ、活動できるねぇ。
僕はユートピアを語る政治家を信用できないところがある。
でも、「不幸の最小化」って宣言する政治家は信用できそうな気がする。

アーカイブより】
不幸の最小化 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
近くの公園で国会中継をラジオで聴きながらウォーキングしていました。
二時間近くの歩きですが、AMの片耳モノラルは両耳で音楽を聴くのと違って自分の雑念と伴走しながら、淡々と国会中継を気楽に聴くことが出来ました。アホなやりとりをやっているなぁと時として合いの手を入れながら一万歩以上歩いていました。
でも、束の間神経が尖ったのは、菅直人の「不幸の最小化」*1って言うメッセージでした。菅直人は政治家が出来ることはユートピアを語ることではなく、出来る限り『不幸の最小化』に努めることである。若い頃、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』読んだ時の驚きを語り、「不幸の最小化」という菅直人の政治哲学が生まれたと言う。

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