「最小不幸社会」の夢


昨日の「2001日目〜」の記事をアップしたら、
極端にアクセス数がアップ!
?????と思ってアクセス解析すると、
僕は過去記事で菅直人の最小不幸社会マニフェスト
エールを送るみたいな記事を書いたことがあったので、
それが、原因だったのですね。
今朝、2001日目の目覚めを迎えて
毎日新聞を拡げると、一面のヘッドラインに
最小不幸社会」つくるとある。
どうやら、「強い経済」、「強い財政」、「強い社会福祉」を目指した「最小不幸社会」で、
どうも僕の中には「小さい政府」と「最小不幸社会」はセットでイメージしていた部分があったけれど、
どうやら、「大きな政府」と「最小不幸社会」というリンクで政治をやるみたいですねぇ。
暫く様子を見てみたいと思います。

おまえの夢は函の中に
秘め事として閉じ込め
闇の静寂(しじま)に浮かぶ
夢は語るものではなく
追いかける逃げ水
だけど、夢は生きる糧
ささやかな一人のおまえとおれにとって
夢は暴力を胚胎している。
その凶暴さを馴らす作業がおまえの
政(まつりごと)かもしれない
おれはユートピアを叫ぶ狂気に怖れを抱く
最小不幸社会の夢は秘め事ではないかもしれない
でも、ぼく達は夢の中へ、夢の外へと

就職氷河期世代より若いゼロ年代の次の10年世代になるだろう、民主党議員の政策秘書小木郁夫と大澤真幸は『0創刊2号』で対話しているが小木氏はこんなことを言っている。(p76)

9.11の直後、ちょうど大学の夏休み明けだったので、当時、どの学部の教授がどういったことを言っているのか、自分が受講している単位とはまったく別個に聞いて歩くというのが、大澤ゼミ周辺にいた学生のあいだでちょっと流行ったんです。そのとき、それぞれ教授みなさん、独自の分析を披露されるわけです。たとえば、アメリカは何ヶ月後に報復をするだろう、ですとか、オサマ・ビンラディンはしばらく見つからないだろう、ですとか、フセインはこのまま出てこないだろうとか、いろいろそうした分析は開陳される。ただ、大澤先生のように、思想的ものがあってそれを制度に肉づけしていく方向でものごとを考えられていた学者は、私が見知った範囲でも、そしてほかの学生が聞いてまわった範囲でも、大澤先生だけだったと思います。それは、インターネット上でほかの国の思想家と比べた場合もそうだった。
 そうしたスタンスと、いま政治に求められているスタンスは非常に近い。政治の世界はいま、政策論や財源論等でも数字をめぐる議論が盛んで、それを得意とする人が集まっている面があります。それと、先ほど中村哲さんのような、現場で奇跡のように光る知恵みたいなものをどう社会構想、国家構想として接続するか。その回路の確保がまったく政治の言語で語られることがない。まだ非力で、民主党政権にいきなりそれをやってもらうというところまでは行ってはいないのですけれども、きょうあらためて、その回路が求められていると確信しました。回路がつながるまで、二段階、いや三段階以上あるのかもしれませんが、それが今後の政治の課題のひとつになっていくのではないかなと思いますね。

>その回路の確保がまったく政治の言語で語られることがない。
恐らくその回路は「夢の力」をも持った、少なくとも接続する「強度」を有しているでしょう。
夢の力 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)