内田樹の戦争論

ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫)

ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫)

日曜日なので採血もなくiphoneで遊んでいたが、
苦手な人差し指一本で入力してみる。
内田樹の「ためらいの倫理学」に収録されている『戦争論の構造』はつくづく名論文だと思う。

カミュが『異邦人』で試みた「無意味な死者をその無意味さのうちで哀悼する」という鎮魂の儀礼は、死者を私たちの「現在の」意味のシステムのうちに回収してはならないという強い禁欲に動機づけられていた。「顔」は「意味」しない。だから「顔」に意味を担わせたとき、それはもう「顔」ではなくなっている。
死者を「侵略者」として鞭打つために呼び出すものも、死者を「英霊」として顕彰するために呼び出すものも、死者の「顔」を見ようとしない点では、つまり「本当の戦争の話」を語らないという点では、同じ身ぶりを繰り返している。
この閉じられた言説空間からの脱出に向けて歩み出すことは可能だろうか。おそらく可能であると私たちは信じる。それは「裁き」と「赦し」を同時に果たしうる「物語」の力にもう一度だけ賭け金を置くことである。困難ではあるけれど、さしあたり私たちが最初の歩みを踏み出す道はそれしかない。(128)

病室でiphoneカキコしたけれど、時間がかかりました。
「ためらいの倫理学」は図書室に寄贈したものです。