(最早、遅すぎるか再販維持制度撤廃)前日より続く

「今泉棚」とリブロの時代―出版人に聞く〈1〉 (出版人に聞く 1)

「今泉棚」とリブロの時代―出版人に聞く〈1〉 (出版人に聞く 1)

今泉正光の『「今泉棚」とリブロの時代』を読みながらメモ。
参照:テキスト三本

「活力を出すような思い切ったことは、余力のあるうちにやらないとできない。問題は、余力があるときにやろうとすると、みんながピンチだと感じないことである。なぜそんなことをやらなければいけないのかと考える者も出てくるから、いまやらなければならない必要性を理解させるのに、時間がかかる。十人中九人が反対しているくらいのときが、新しいことを始めるのにちょうどいい加減でないかと思う。九人がピンチだと思ったときはもう遅い」

(小林吉弥『田中角栄の才覚 松下幸之助の知恵』p116)より、『ぼくでも社長が務まった』(東洋経済新報社)の山下俊彦の言葉です。

文学を取りまく状況の混迷ぶりは、もうどうにもならないところまできている。本の売り上げは毎年著しく減少しているのに、昨年度の新刊の発行点数は78555点と過去最大だった。一日に200点以上の新刊がどこかから発行され、本屋に押し込まれている。そのカラクリは、なんとも酷いものだ。
http://intec-j.seesaa.net/article/95359115.html
つまり、売れなくても書店に押し込みさえすれば、出版社はとりあえず売上が立つ。書店から返本されれば返金しなくてはならないので、それ以上の数の本を作って本屋に押し込む。完全な自転車操業だ。しかし、こうした手法をとれるのは大手出版社だけであり、我々のような新規参入組は、本を書店に置いてもらい、6カ月後に売れた分だけ入金される。作ればすぐに、作った分だけお金が得られる大手出版社とは雲泥の差だ。
しかしながら、現在のような流通システムだと、大手出版社にとって本屋に売れ残っている本は、実は借金みたいなものだけど、その実態がわかりにくい。また、多くの出版社が非上場企業であり、経営状況をオープンにしていない。
私は、20年ほど前、カネボウ化粧品マーケティングや販売促進に関する仕事をしていたことがある。実は、その頃、化粧品業界も現在の出版業と同じような状況になっていた。当時、化粧品も、書籍のように再販制度に守られ、店は、メーカーが取り決めた金額でしか商品を売ることはできなかった。そして化粧品会社が次々と新商品をつくり、それを販売会社を通してチェーン店に押し込んでいた。チェーン店は、条件付きではあるが、売れ残りの返品が可能であり、それは現在の書籍流通と似ていた。
しかし、売れ残りが多くて、チェーン店が返品してくると、また新たな商品を押し込む。その状況のなかで化粧品チェーン店は疲弊していった。再販制というのは、そのようにメーカー側にとって都合の良いシステムをチェーン店に押し付ける代わりに、チェーン店同士の価格競争による共倒れを防ぐための配慮であり、それは現在の書店と似ている。
そうした状況のなか、資生堂福原義春さんが社長に就任し、販売会社につけ回していた大規模な在庫を買い戻した。「在庫を押し付けて会社の決算をきれいに見せても仕方がない」と判断して350億円ほど処分して、それをマイナス計上するという英断を行った。
そのことによって資生堂は、その年の決算は酷いものになったが、その後、身軽になった状態で再び力を取り戻した。しかし、カネボウはそうした英断を行うことができず、形の上で利益があるかのように見せ続け、それが膨れ上がり、最後には莫大な負債があることが判明して倒産した。
現在の出版社もまた、深刻な経営難に陥りつつある。小学館講談社は2年連続の赤字で、集英社も赤字に転落した。日本の出版業のトップ3が赤字なのだ。http://mabo.livedoor.biz/archives/2940418.html
しかしながら、ここに示されている数字は、店頭に売れ残っている本のことが含まれていない。もし、店頭で売れ残っている本の全てが出版社に戻されたら、いったいどれほどの赤字になるのだろう。

現在、渋谷で風の旅人のバックナンバーフェアをやっている風の旅人さんは、ブログで常々かような警告を発信している。でも、護送船団の受信装置は鈍い!鈍すぎる。もう、遅いかもしれない。

 ーーー この際だから出版社の営業のことにもふれておきましょう。たまたま岩波書店の話が出たから言いますが、岩波の営業が本格的に地方を含めて書店を回るようになったのは八十年代になってからで、それ以前はそのような販促活動をほとんどしていなかったんじゃないかな。
 今泉 キディランド時代はほとんど回ってこなかったですね。買切性だし、返品にまつわる営業部の仕事はない。それに岩波書店としてはその自負もあり、さっき言った老舗書店に対する特約店制、万全の広告体制、『図書』による読者層への食い込みといったシフトに対して自信を持っていたんだと思う。
 ーーー しかしそれが郊外店などの出現による書店地図の塗り替え、及び消費社会を迎えた読者の変化があり、従来の殿様商売にも翳りが見え始め、そのこともあって書店営業もするようになった。それまでは書店が営業に電話しても、取次に言って下さいという高飛車な態度だったという話もよく聞いた。
 それからこれもはっきり言っておかなければならないが、出版業界の階級構造というのも露骨で、これは色々と含みももちろんあるが、一番えらいのが著者、その次が編集者で、その下に営業がある。
 営業の次にくるのが取次で、単なる運び屋だと思っている人たちすら存在する。取次は取次で、書店のことは小売りと呼び、明らかに下に見ている。だから書店に至っては何をか言わんかというのが七○年代の状況だった。
 だから今泉さんのような自立し、本もよく読み、著者や出版社や取次と対等に張り合える書店員の出現は画期的な出来事だった。
 そして何より顕著だったことは今泉さんに代表されるような書店員がこの時代に多く出現したことで、出版業界はその意味でも大いなる変革期を迎えていた。ところが書店員側はそのような人材が組合問題を引き起こしていることが自明だったので、それらの人々の能力を十全に生かそうとしなかった。出版社や取次も書店経営者の側に立っていたから、こちらも同様だった。
 今泉 まあ、旧来の出版業界の人たちにとって、百貨店の人たちが私のことを「西友上がり」と見ていたように、それなりに本を読み、対等に発言する私なんかを面白くないと思っていたのも事実でしょうね。
 ーーー そう、本当に能力を認め、信頼してくれるならば、再販制が外れ、価格決定権を書店にまかせても、何の心配もなかったはずだ。ところがそうならなかったのは基本的に認めたくなかったからだと思う。
 出版業界総体としては先にふれた上意下達の階級構造を変えたくなかった。そのために出版業界は流通販売システムも旧来のままで、現代ビジネスに移行しないままに過ごしてしまい、取り返しのつかない危機を迎えていることになるわけだ。
 その意味において、リブロ池袋店は読者と最も接近していた。もちろん流行と不易を含めて。だから確かに何でもできる可能性を大いに秘めていた。
 しかしそういう書店状況を迎えていたにもかかわらず、何も変わらなかった。そしてここまできてしまった。だから大手出版社の営業の責任というのも相当大きいのではないかと思っている。
 今泉 それを言い出せばきりがない。出版社−取次−書店の関係でいいますと、大部分の出版社の社長は編集者出身者でしたね。編集−財務−人事−営業−倉庫のヒエラルキーです。営業の発言力が弱くて、封建制の意識とさして変わりありません。出世しても、よほどの事がない限り取締役営業部長止まりでしたよ。営業部員は、押し込み中心で、大手出版社を除いて、書店の担当者と仲よくなって成績を上げるパターンです。
 書店人はといえば、いつも最下層にいて、生かず殺さずが出版社・取次の基本ですね。ごく少数の大型チェーンの担当者はそれなりに大手版元と話ができます。リブロ池袋店長クラスになると大手の役員や社長とも話ができましたが、私はゴルフも酒もダメでしたから、余り積極的な接近はしませんでした。それに私の狭い範囲のことですが、出版社も取次も本のことを知っている人は余りいませんでしたから。えらい人でこの人はすごいと思った人はほとんどいませんね。
 そのヒエラルキーは給与面では明白で、書店員の給与は大手出版社の二分の一、三分の一くらいで、見事なまでの格差構造で、ここ三十年以上やっているのですよ。私はいいたいですね。この給与格差に見合う程の仕事をあなた方はしてきたのかと。現在の出版業界全体の危機状況は時代のせいだけなのかと。
 その中でも筑摩書房の田中達治君はよく頑張っていた。あれが限界だったんじゃないかな。前に話したけど、疲労の蓄積で早死にしてしまったのかもしれないですよ。
 ーーー 田中さんからよく出版社の営業の内幕を聞かされた。ある大手出版社では営業の意見がまったく通用しない時代が長かったとか、それこそさっきの階級構造が古い体質として残っていたようだ。でもそれは今でもほとんど変わっていない。
 それどころか、出版危機の中で、新たな階級構造が生み出されている可能性もあるし、何よりも流通販売をめぐる不透明な状況というのは改善されていないわけだし。
 そしてそれは大日本印刷による買収を再編によって、さらに加速されていく。まあ、そこら辺りの事情はこれ以上ふれませんが。

 本書の(40)「出版業界の階級構造」より引用しました。
 本が好きで堪らないという商品知識の豊富な書店員が1970年代に供給された状況がありました。当時、僕のいたキディランド横浜店で寺山修司を囲んでのトークイベント*1をしたことがありましたが、寺山さん自身、最下層の待遇の悪い職種として本屋の店員をあげていましたねぇ。中卒の集団就職の受け皿、精々高卒で僕らが取次に行くと、当時、キデイランドはそんな背景にありながら、創業者のポリシーで大学卒を大量に採用したのです。
 東大を始め、国立系も、一流私大卒もいました。「本屋の店員」では当時では、珍しすぎる。
 だから、取次の担当者にときにはイヤミを言われたこともありました。ただ、キディランドは玩具が好調で体力がありましたからねぇ。結構、待遇は良かったのです。
 創業者はゴルフもやらない、時間があれば若手社員と延々を議論を戦わすし、原宿の本社に居住していました。「若手社員」と「流通革命」について侃々諤々やっていたわけでです。いい意味での「狂気」がありました。
 そのあまりにも過激な成長戦略に取次、問屋からハシゴを外されたということになるのかなぁ。
 僕はその前にアパレル関係の仕事をしていましたから、再販維持制度に守られた出版流通システムに当初から違和感を感じていました。
 アパレルはシーズン毎に勝負するわけです。結局、このアパレル会社は倒産しました。護送船団方式は沈没するときはみんな仲よく沈みましょうだから、それなりにナットクできる部分があるけれど、問題は渦中の人々にそんな危機意識が希薄で何とか上手く逃げおおせることが最優先で後のことは知らないよ、という無責任さを感じることです。
 本来出版人は「出版文化史」の中で延々と継承すべき仕事を手渡す「公事」としての使命感を持っているはずですが、ないものねだりかもしれない。再販維持制度撤廃、記者クラブ問題、著作権問題などを単なる「既得権」として死守する頑迷さからちょっとでも離れて欲しい。
 あとがきで今泉さんはコルトレーンの「神の園」にも似て混沌極まりなしとおもっていたところ、小田さんが私の宇宙遊泳を何とか形にしてくれました。感謝!と書いている。
 コルトレーンの「神の園」はとても最後まで聴く自信がないけれど、本書は楽しく読ませてもらいました。感謝!
1/4
2/4http://www.youtube.com/watch?v=x-x4J7LGfMI
3/4http://www.youtube.com/watch?v=MapWiLJGOrw
4/4http://www.youtube.com/watch?v=0ikcf4C5r1c

*1:この時代で著者サイン会、トークイベントは珍しかった。