逃げ水/資源としての身体

東路にあるといふなり、逃げ水の逃げ隠れても世を過ぐるかな  俊頼 夫木抄

(汚泥を置いておく場所も、灰を置く場所もない。どうしたらいいか?)分からない。こんな事故が起きてしまったから、これからは今までと違う世界に生きるしかないと思っていただくしかない。
ソース:6月8日 今までと違う世界に生きる覚悟 小出裕章 (MBS) | 小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ

今までと違う世界 どこにそのような世界はあるのであろうか?事故は起ったのです。
生物学的市民権 - みずもり亭日誌2.0
僕が学生時代の頃は売血でアルバイトとアルバイトの谷間で「血を売っている」若者も結構いた。
1969年に禁止になったんですねぇ。もう僕は献血の資格は残念ながらありません。僕の身体のどこに資源となり得るものがあるだろうかと、「身体の点検」をするのもいいかと思いました。