新刊が届く

bk1から新刊ホヤホヤの宮台真司×飯田哲也の『原発社会からの離脱』と武田徹の『原発報道とメディア』が届く。
すぐに読みたいのですが、小出裕章の『放射線汚染の現実を超えて』をじっくりとかみしめながら読んでいるので、後回しになりますねぇ。
小出さんの講演での語りは名人芸だと思う。ものすごく吸引力がある。視聴でもその佇まいにものすごく好感が持てるし、「ああ、この人は信用してもいいなぁ」と思わしめるものが身体から放射しているオーラ―がある。
文章はどうかと思いきや、語りとほとんどズレがない確固たる文体で名文ですよ。放射能汚染の現実を超えて

 世界全体では、わずか四分の一の人口がエネルギーの八〇%をも使っている。この格差を差別といわずに何と呼べばよいのか私にはわからない。四人の人間がいるとすれば、その内の一人が八〇%もののエネルギーを使ってしまい、あとの三人で残りの二〇%を使っているのであるが、一番取り分の少ない一人はわずか一%以下のエネルギー消費しか許されていないのである。私たちはまさに無茶苦茶な差別社会に生きているのであり、日本あるいは日本人は差別する側にいるのである。それにもかかわらず、生活を向上させるためにはもっとエネルギーが要るから、原発は必要だというのが大多数の日本人の意識である。その上、原発がダメだというなら、別のエネルギー源を示すべきだなどという論理が、良識として通用しているような国がこの日本という国である。
 一言いっておくならば、平和な日本で法に触れることなく生きているからといって、ただそのことで一人ひとりの日本人が「無罪」であるとはいえないし、日本国内で反原発を闘っているとしても、私自身を含めて、それで「無罪」であるとは、私には思えない。(p129~130)

加害者性の認識の必要性は「倫理的な問い詰めとして設定」されるべきではない。そうではなくて、多様の運動を根源的な地平で連帯可能にするためにこそ、その認識が何よりも必要になるのである。(p141)