どうするエネルギー

もはや後戻りできないということか。あったことをなしにできない、とぼとぼと橋を渡って歩くしかないと言うことか。

一部引用。武田徹さんの立ち位置は誤解を生みやすいけれど、キモはみんなが広く薄くリスクを受け止め、しわ寄せが弱者に出ない社会であるべきだ。という奈辺にあると思う。

原子力放射線リスクが不確実に表れるため、科学技術的に厄介だが、政治的、軍事的に公開しにくいため、民主的なコントロールが利きにくい技術でもある。だから、できるだけ減らす方向で考えた方がいい。ただし、科学的な思考を早々と手放して感情的に原子力を避けようとすると議論が進まない。
 原発が扱いにくいというのは相対的な話であって、絶対的な悪だから封印を解くべきではなかったとは思わない。核の封印はすでに解かれているわけで、オッペンハイマー(米国の原爆製造を主導した科学者)が解かなくても、誰かが解いていたはずだ。科学技術とはそういうものだということを前提にして制御していくしかない。
 少なくとも今後、原発廃炉を進める技術の開発は必要だ。原発をエネルギー源の一つにしなくてもいいようになったとしても、最終処分には1000年とかそれくらいの時間は必要だし、人類はそこまで原子力との共存を宿命づけられている。社会がリスクを避けると、弱いところにリスクが集中する。みんなが広く薄くリスクを受け止め、しわ寄せが弱者に出ない社会であるべきだ。