マジなのか?

どうして、人は「理性」とは別のステージで信じようとするのか?
科学的知見って、そんなに頼りないものであろうか?
プラセボ(偽薬)効果のように少なくとも害がなければよいが、これじゃあ、ヤバイ!
「狂気」と「信じる」ことは近接性があるからねぇ。
「信じる」に「狂い」が内包している。
宗教、思想だって「外部」が存在しない。
「外部」の存在しない言説であれ、行為であれ、厄介極まりない。
ノルウェーテロは腹立たしい。
僕はプラセボ的(30%)くらいの「狂い」、「余白」で信じたいものです。「外部」が浸潤する隙間を開けておきたい。

「存在しないもの」との折り合いのつけ方について - 内田樹の研究室