yからのメール

人生なんてくそくらえ

人生なんてくそくらえ

白血球数が下がってベットの中で安静にしているのにy氏からメールが送信された。
せっかくだから全文引用します。今のところ返信する元気がない。
♪───O(≧∇≦)O────♪

入院中なのに失礼。
最近、体調が優れない。心臓の調子が悪く、不整脈等で歩くのがつらい状態。5年程前に同じような症
状があり、それは若さ〓で何とか回復したが、今回はどうなることやらと自信なくうっとおしい気分。お互い、もういい年齢なのではっきり言って先はそう長くはない。まあ残された寿命を善く生きた
いものだが…ところで、体調悪き中、ネットカフェに行き、丸山健二のブログとかを覗いてみた。「人生なんてくそくらえ」の本ほどの過激な文体というか、内容ではないが、それに近い投げやりげな怒りを発している。政治(たぶん橋下現象への批判)と花見の酒の騒ぎの下劣さの二題をよんだ。言ってる事は間違いではないが、怒りのなかにルサンチマン的(恨み節)な匂いも感じた。ただ政治なんて関係ないと無視して、無関心でいて、個人の自立のみを強調してみても愚民国家になり最後に損害をこうむるのは自立の有無に関係ない個人だ。政治に無関心で期待するなといって何のコンタクトも取らないと(もちろんリテラシーを持った人々の思考が理想的前提ではあるが)それこそ丸山健二自身が本のなかで言っている日本の国を動かしている悪者、東京電力の会長とやらの思うツボである。私は東京電力の会長(勝俣)が日本を動かしているなどとの見方はあまり単細胞視点であり、失礼ながら丸山の日本社会への見方はまだまだ底が浅いと思う。個人次元ではない政治家や官僚や経済界等のおのおのの利益集合体が複合複層に絡みあいながら既得権益があちこちで漂流している。そこには国民益は建前として語られるが、あくまで建前ゆえに本物ではない。丸山健二もそのあたりを本当は言いたかったのだろうが、何せ茂木健一郎が「丸山さんがブログを書いた」と驚いているところをみると、丸山健二には、凄い感情的怒りのマグマが貯まっていたのだろうと推察出来る。小説とは違う方法で、誰かれなしに怒りを発信したくなったのだろう。まあ可愛い本性がそこにはある。花見よりどんちゃん騒ぎの酒を嘆く丸山健二の倫理観は、およそどんちゃん騒ぎ好きな日本の大衆(どんちゃん騒ぎ嫌いも多数いるはずだが)には縁はなく恥の感性ももちろんないだろう。ひょつとして文化や伝統として酒を飲まない輩は粋ではないと考えているのではないか、そういう下地は我が国には確かにある。ちょっと脱線して吉本隆明なら、そんな大衆と一緒にどんちゃん騒ぎをし、それを是とするだろうかと、ふと頭をよぎった。大衆に寄り添う視点から色々な概念(美しさ、醜さ、利己、利他、欲望、倫理ほか)が想像されるが大衆の姿はだいたいに於いて倫理的でも美しくもないのが本当のところである。不安定な自由より、安定した不自由を求めるのが、大衆の常。いわゆる「自由からの逃走」が悲しいかな大衆の歴史でもある。丸山健二のブログから少々、飛躍したかもしれないが、徒然に感じた想いを述べてみました。 以上