小沢一郎問題

y氏からのメールを又コピペする。
なんか僕のブログが乗っ取られた感じ。
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
彼はパソコンを持っていず、この長文メールは携帯からなのです。
おまけにこのケイタイはプリペイドカード。
内容はともかくその熱い発信濃度に脱帽です。
僕にはとても書けない、ナイーブさが根底にある。
140文字ではないです。毎日ケイタイ画面で書いている状況に唖然!
僕は当分脇役に徹します。(−_−;)

小沢問題に学ぶ
こんばんは、昨日、小沢裁判の判決が出ました。もう三年近くなろうかと思いますが、陸山会東京地検が家宅捜査に入ってからこの胡散臭い事件をいろいろな角度からウォツチしてきました。そして今、改めて総括的発言をします。栗山氏には少々退屈かもしれぬが、読んでみて下され♪小沢問題の本質は行政でありながら、特殊で強力なる司法権力を持つ東京地検特捜部が、当時民主党代表者たる小沢を狙い打ちにしたおよそ公共の利益や真実解明とは程遠い恣意的で思惑満載事件である。あたかも戦前に平沼(検事総長、後の総理大臣)が指揮した作られたテイジン事件の再来の様である。小沢攻撃への目的は自民党から民主党政権誕生が確実視されていた中、小沢総理、小沢政治なるもの(政治主導、官僚内閣性排除、司法改革等)を潰すためにあったのである。もちろん検察官僚の功名心も携えて…結果として小沢の政治生命は検察の無謬性を信じて疑わない世論やマスコミにより、大きく棄損された。話は脱線して、そう言えば2000年前哲学者ソクラテス人民裁判なるものにも類似していると感じた記憶もよみがえった。検察は、およそ形式犯の域を出ない政治資金規正法強制捜査に入って重罪たる斡旋利得罪まで進むストーリーを描いた。そもそも政治資金規正法なるものは、よほど悪質でない限り、良いか悪いかは別として、ほとんど記載ミスを訂正処理で済んでいたのが実態である。小沢が罪に問われるならば、ほとんどの議員も引っ掛かる類いのものなのだ。だから検察は何としても斡旋利得罪等の重罪を目指して秘書達を追いかけまわし、大手ゼネコンに対する度重なる家宅捜査をした。(余談ーマルチ商法の詐欺師的評論家の青山繁治あたりは特捜検事の小沢に関する犯罪重大事実を極秘に地検特捜部(人脈の広さを自慢)まで行き、仕入れたとのたまっていた。まだ、その結論へのオトシマエもつけず、テレビなどで、国家主義陰謀論にうつつをぬかしている。怪しくて恥ずかしげな輩だ)しかし小沢を罪に問う証拠は何も出てこなかったのである。困りはてた検察は最後にあのいかがわしい事この上ない水谷建設の社長達に司法取引まで(色々な犯罪を減免した)して賄賂性を立証しようとした。水谷建設の会長は、小沢氏に申し訳ないとしきりに謝罪していた。結果として東京地裁の登石なる能無し裁判官が、それらを見抜けず、推察と推認を繰り返し秘書三人に前代未聞の有罪判決を出した。ただ小沢に関しては、あまりの不確かな証拠や見立てのいい加減さゆえに、検察も小沢起訴は断念せざるを得なかった。後は検察審査会を使い、しかも田代なる検事の虚偽の報告書で、一般市民を「起訴相当」判断へと誤導する驚くべき愚行に出た。痴漢冤罪をグループで仕込まれたようなものである。それは、ちょうど郵便不正事件で、村木厚子局長を犯人にするためのフロッピーデスクの証拠改ざんと全く同じ犯罪行為であった。ところで今回の裁判で検察審査会の起訴は有効とした裁判官の判断は全く説得力がない。ウソの証拠が判断前提などの核心ならば、起訴相当判断は無く、およそ裁判する事自体が存在しない。裁判している以上、無効であるとは口が裂けても言えないのだろうが裁判官の立場上だけの苦しい有効表明は奇異に映る。形式論や手続き論(政府の原発再稼働のあほらしさ同様)は無意味で説得力無しである。また期日づれ(会計法上の所有権と登記問題)にしても、果たして虚偽記載(マスコミは常にウソ記載と報道)に当たるか、不記載なら別だが、裁判所の判断に疑問が残る。会計法上の吟味もしてみる必要も感じる。マスコミはひたすら「政治と金」なるお題目を呪文の如く唱え、小沢悪物語を検察のリーク情報で(村木厚子さん事件も同様)国民大衆に展開、洗脳してきた。無罪判決後は、案の定、ど素人でも予見出来る言葉「政治的、道義的」を乱発し出した。はっきりいって大新聞は再販指定制度を日本の文化などとのたまい、きっちり固定価格で守られている。それでも朝日新聞など脱税で国税局に摘発されているのだ。巨人選手の裏金をトップ記事で扱う節操の無さ。政治と金や道義など語る資格も全くないのに、社説などで恥ずかしげもなく小沢批判の繰り返しだ。天声人語もよくも通俗的になりさがったもんだ。またテレビ局もただ同然の電波料しか払っていない。既得権を満喫しているのである。この日本には電力会社同様恵まれた集団もたくさんあるようだ。せめてメディアを名乗る以上、政治と金や道義的なる言葉の乱発でなくて、やるべき事は政治家や財務省(この組織もいかがわしい面多数)など足下にも及ばない検察官僚の強大なる権力構造を批判的に観察する事こそが最大かつ最重要課題であるのではないのか!国民大衆の支持や人気がないからといって小沢悪物語を喧伝しているメディアにはもはやインテリジェンスのカケラもない。村木事件、小沢事件が有罪に流れていれば、おそらく標的は現在進行形の異端児、橋下徹が狙われる可能性大であった。佐藤優も、ある意味ホリエモンも既得権や既成概念から、はみ出そうと検察の餌食になった。過去の歴史から自白調書中心主義と検察と裁判所とのズブズブ関係から、先進国ではあり得ない起訴イコール有罪率99%を生みだした。おそらく冤罪のために多数の無実の人々が絞首刑を執行されたに違いない。今も獄中で不条理を強いられている人々も確実におられる。それらに想いを寄せる国民大衆が増える様、怒りとともに祈る気持ちである。最後に私はいわゆる小沢信者ではなく、どちらかと言えば、小沢一郎に関して、理念なき小泉純一郎などより先に「日本改造計画」での改革や自立から小沢が「生活が第一」への小さくない方向転換に多少の疑問を感じている次第である。もちろん生活は大切ではあるが、あくまで政策論として… 以上 とりとめない話になり失礼しました。

久しぶりに古本バザーの本を持ってエル・ライブラリーに行って来たのですが、天満橋ジュンク堂に寄って大道寺将司の句集『棺一基』を購入しようと思ったら売り切れだと言う。本店にもない、版元、取次にもない、ネットはどうだろう、とにかく在庫はないと言われた。そうすると益々欲しくなる。地元図書館で問い合わせたら僕より前にリクエストした人がいたので複数のご要望なのでさっそく取り寄せると館長は言ったが在庫がないとしたら無理ではないか、色んな問題があってどうやら再版も難しいらしい。仕方がないから図書館にあった2001年度版の大道寺将司の句集を借りることにしました。

友へ―大道寺将司句集

友へ―大道寺将司句集

茂木健一郎クオリア日記が更新されて、茂木健一郎 クオリア日記: 私にラベルを貼ってください!とコメント募集。
何故か、即、花田清輝の『冒険と日和見』を連想した。
多動性冒険的日和見主義者。
でも、分析的に説明出来ない。
冒険と日和見―文芸評論集 (1971年)

冒険と日和見―文芸評論集 (1971年)