y氏からのメール続く

深夜血尿が止まらない。y氏からの辺見庸についてのメールが送信されていたので、引用します。
しかし,y氏も丸山健二藤原新也辺見庸広河隆一と同学年,同世代だなぁ。

辺見庸に感心して…
特に原発事故から始まったわけではないのだが今の時代、いろんな事象は、その本質的な実態を覆い隠すために、例えば化学塗料などでコーティングされている。それは紙塗装みたいな美しく見せるためのコーティングではなく、不都合な真実を見ない、知らせない状況を指す。人々も意識的か無意識的かにかかわらずコーティグされた事実を黙認している。事実を読み解く意欲も力も弱すぎて、事象の本質、真実は見えない。しかし絆の文字に連帯を想い、被災地を美しい言葉で語る、そこに妙に納得する感傷的世界に浸っている。それらの世界はあくまでも自己満足の域を出ない。薄っぺらな擬装を見抜く人間力が極端に落ちているのだろう。あるのは安っぽい予定調和だけである。それらはあたかも、例えは古いが、ちょうどイラク戦争ハイテク技術での殺戮がまるでゲームの如く認識された事の様だ。本当の戦争はリアルであり、クラスター爆弾で脳ミソが頭から飛び出した子供の父親が慟哭の涙を流しながら、その脳ミソを我が子の頭に詰めていた事実。非道、悲惨な現実世界が紛れもなく、そこに存在していたのである。決してバーチャルなゲームの世界での出来事ではない。ゲームなら死んだ人間を何度でも生きかえさせるだろうが…現在の日本では、東北地方(特に福島)では、戦争ではないが悲惨な状況が続いている。それと同様にこの地球のどこかで不条理にも大国や資本のエゴで悲惨な経験をされている人々がいる。それらを想像する感性や思考が欲しい。自己の損得をのみを人生の判断基準にしている人々の心の荒みが蔓延している世にあって、言葉(精神)を持つ人間には、いつも一人称や二人称発想ではなく、魂の奥深くに三人称視点の思考が、必要ではないか?でなければ所詮、世界も人間も壊れ切らねば未来は無いのかもしれない。おそらく核戦争はいつかは分からぬが間違いなく起こる。墜ちきって無になるか、再生するか、果たして人類の未来は?人間の人間たる存在理由が今程に問われている時代はない。個々のロゴスが求められているのである。