黄泉の国へのオン・ザ・ロード

オンライン書店ビーケーワン:黄泉の犬
 過去ログで紹介した月刊『オルタ』の1月号が発売されました。僕の書いた藤原新也著『黄泉の犬』のレビューだけ、編集者の好意でアップします。bk1でもネットアップしている拙レビューがありますが、それと趣がだいぶ違います。読み比べてもらえば幸甚です。

 一九七〇年代後半以降に生まれた若者達と時たまネット上でやりとりすることが増えたのだが、社会適応の処方箋について、四四年生まれの筆者が自明であると思っていた倫理から「いや、そうではないのではないか」と反論すると、そこでやりとりが一時停止してしまうことが多い。藤原新也も筆者と同年で前作『渋谷』でも、心の危うさを身の内から発散している少女が目の前を横切った時、思わず作者は声をかけてしまったのだが、その振る舞いはバブル崩壊以降、「豊かさ」と無縁であった時代を生きてきた若者にとって、うざったい説教オヤジに見えたかもしれない。
 それは、若者であった藤原が自らの投影として誤読してしまうズレなのか、それとも若者たちの他者へシンクロする感性が劣化しているためなのか。『渋谷』では、そのような処方箋には家庭へという「共同体」に答えを見出そうとするかに見えた。
 藤原の「声かけ」は例えば、マスメディアを利用して「ほっとけない!」と声高に叫ぶ「みのもんた」とどこがどう違うのか。藤原のそれは自然な「声かけ」であって、そこに政治的なメッセージもない。でも、そのような批評では収まりきれない何かが藤原にはある。それは群れであることを嫌い、漂流者であったという藤原の実存が発する臭みから来るものかも知れない。標題の「黄泉の犬」は藤原自身のことであろう。黄泉からくる声に耳を傾け続ける。
 ガンジス川に流れ着いた水葬死体に野犬が喰らいつく一枚の写真とキャプション「人間は犬に食われるほど自由だ」、それはインド放浪から帰った藤原の強烈な飛礫(つぶて)であった。あれから三五年、藤原はメディアを横断して写真家、時評家、小説家、エッセイストなど、どのような肩書きをつけようかと悩んでしまうが、そのようなフレームを逸脱する。藤原節としか言いようのない通低音は常に鳴り響いていたのだ。
 本書は藤原の自叙伝という趣もある。ただ、冒頭ではオウム事件からほどなくして、麻原彰晃の兄満弘に会うという重要なエピソードがあり、水俣病問題が語られる。残念なことに証言者満弘は亡くなってしまった。しかし、それを補強する藤原の取材も最後の詰めが甘く霧の中のもどかしさがあるものの、よくぞ書いたと思う。一石を投じたということだろう。
 青年藤原がラダック地方で同宿の若者との「生きることの不安」に曝されて闘う一刻と、いま現在、この国の若者ツトムが「生き辛さ」を抱え込んで藤原にインタビューしながら去来する時間とが時空を越えて交差する。その筆致は臨場感があって本書の一つの山場でもあるのだが、そのエピソードをオウム問題にリンクさせたのも、藤原の代表作の一冊としていまだに版を重ねている「死を想え!」を主題にした『メメント・モリ』の黄泉の目なのだろう。
 作者の絶望が、それは同時に絶望を語るが故に希望を指し示すことも可能になってくるのだが、若い人たちに届くかどうか。既得権を手放さないで、若者たちの振る舞いを嘆いて見せるコメンテイターと同じようなオヤジと見なされる虞があるかも知れない。でも、そのように誤読されようと、頓着しない。藤原は「情の人」なのだろう。
 若者の一人はそんな「生き辛さの悩み」より、ワーキング・プアーで不安以前に経済的に疲弊しているから、あんたたちの既得権を寄越せ!と言うかも知れない。
 『黄泉の犬』は直截な本である。クールに距離を置いて語るスタンスはどこにもない。あくまで、当事者として問題の解決を愚直に図ろうとする。多分、そのような熱い情念化した言葉で言い続けることでしか、世界は変わらないという確信があるのだろう。
 カネがなくとも、生きること、リアルということ、「消えてしまう」という悩みに背中を押されて、一九六八年、藤原青年は旅立ったのは間違いない。今でもそのような悩みを抱えて旅立つ青年はいる。それが本書に登場するツトムだろう。でもそこで、横槍が入るかも知れない。一ヶ月分の給料をインタビュー料にしたいと申し出るツトムは、それだけのカネを出すことのできる豊かな若者だと。でも、カネで語ることのできない何かを語ろうとすることは、どんな時代状況でも、とても大事な作業だと思う。なぜこの地に拘泥するのか、どこかの土地に希望があるかもしれないという冒険心、好奇心で絶望を保留して歩き出す。死に急ぐことはない。みんな等しく黄泉の国への道中を歩いているのだ。

 さよなら、サイレント・ネイビー ――地下鉄に乗った同級生搾取される若者たち ―バイク便ライダーは見た! (集英社新書)「核」論―鉄腕アトムと原発事故のあいだ (中公文庫)

ミュージカル「マリー・アントワネット」の案内

王妃マリーアントワネット(上) (新潮文庫)王妃マリーアントワネット(下) (新潮文庫)王妃マリー・アントワネット―青春の光と影
 僕がお気に入りに入れている『しおしおしお』さんのブロガー史桜さんが出演するミュージカル『マリー・アントワネット』が来月から梅田芸術劇場で公演が始まります。原作は遠藤周作の『王妃マリー・アントワネット』ですね。演出は栗山民也です。
 ♪こちらのHPからキャストのボタンをクリックして、アンサンブルキャストで史桜さんをクリックすれば、史桜さんのプロフィールPDFデータを読むことが出来ます。

キリギリスの「いのち」

 メルさんの「恵まれた」人間は、社会批判をする資格がないのだろうか 」というエントリーは昔から言われ続けていることですが、今でもその問いは残っていますね。恵まれ度のスケール自体も単純ではない、単に所得で図れる数値なら何とか計測出来ますが、その数値も恵まれた数値と第三者からカウントされても、本人は恵まれていないと思っている場合の方が多いでしょう。年収一千万円でも不満たらたらの人はいますし、そんなことを言っても仕方がないので、粗っぽく僕のことを書くしかない。
 自分の身の丈に合わない事柄に対して沈黙を守るか、身の丈以上のことであっても、積極的に社会批判をしてゆくべきか、僕としては自分の身体感覚を揺り動かす事柄に対して身体反応として、そのような社会批判にかかわるという言葉と身体の境界線に位置すると言っても、言葉と身体は腑分け出来るものではないから、見えないものも取り込んだ「言葉にならない僕」が予測不可能な行動を含めた身体反応としての社会批判に結果としてなると言った案配で、時評家のように社会批判の対象になるようなものを鵜の目鷹の目でアンテナを拡げているわけではないのは勿論のこと、日常の運動として、政治家、アクティビストになろうとしているわけではない。
 でも、やるときはやる、と言った決然たるものは秘めてはおこうと思う。でも、それも、僕のように失うものが殆どないものは、簡単に言えるかもしれないが、失うものが沢山ある人は「そうはいかない」だろうとは思う。その限りに於いて同情はしている。
 富裕であることが、重い荷物を背負うことなら、僕は殆どゼロに近い荷物で生きられるならそちらを選択するということです。だって、僕の知る限り、羨ましいと思った富裕(A)層はいないし、B層にしたところで、その火宅ぶりにお目にかかるから、生存権さえ確保されるなら、軽い荷物で自由気ままに暮らしてゆきたいというわけです。
 でもそんなキリギリスの生き方でも映画『ダーウィンの悪夢』ではないけれど、南北問題の犠牲の上に成り立っているという疚しさはありますね。この国のC層であろうとも無縁ではないのではないでしょうか、
 ナイルパーチ魚研究所の夜警のおじさんが一ドルの日当で働いているのですが、「戦争が希望である」みたいな語りをする。
 僕はこちらのテキストのように時給8ドル以下、時給1,000円以下の仕事を長年やってきたのですが、そのことに対してそんなに不満はなかった。勝手にやらせてもらうことを最優先にしていましたね。でもね、人材派遣会社にとって営業は三人で出来る仕事を四人で出来るように上手に工夫することが、利益を上げることに繋がり、その匙加減が微妙です。そういうこともあるわけですよ。一人当たりの労働が過重になれば、人材派遣会社にとって、メリットはない。一人でやれる仕事を二人でやれるように暗黙の了解で適当に働いてくれる人を望んでいるのです。そうすれば、二人分の人件費マージンが計上される。と、まあ、こんなところです。
 兎に角、より良い条件で正社員という話があっても、キリギリスの生活が僕に合ったものだと思っていた。アリになりたくなかったのです。だから、アリになりたい人はアリになればいいと思う。
 ただ、アリであっても、勿論、キリギリスだって誰かを捕食して生きている。あの日当一ドルで働いている夜警やストリート・チルドレンや、様々な人びと、生き物たちの「いのち」を捕食して生きているんだという疚しさ、感謝、祈りを感じ、忘れないでおこうと思うが、僕はそこまで立派な人間ではない。せめて自栽することのないように自分の「いのち」を他者として広がりを持ったものとして慈しむしかない。
 「ヨコハマメリー」は真っ白いキリギリスでしたが、最後の老人ホームでは、その白塗りがなくて、すっぴんで、とても素敵な表情をしていた。