高橋源一郎/しまうま語をしゃべる人

私生活日本文学盛衰史 (講談社文庫)
◆『日本文学盛衰史』(講談社文庫)はネットでも、最大限好評なレビューが多く、この本をネタにしたブログでも、読ませるものが多い。勿論、読んでいるときも楽しいし、その山田風太郎顔負けの飛躍の仕方とエンターティメント性に脱帽してしまう異説、物語性に何度も読みながら拍手したくなりましたが、読了してからも、様々の読者ひとりひとりが、何かを語りたくなる、何かを書きたくなる、そんな読者を駆動するエネルギーがある。
明治と現代を自在に往還する漱石であれ、鴎外であれ、啄木であれ、抱腹絶倒の笑劇もあったり、SF、推理、アダルトと、エンターティメントの風が吹き渡りながら、マジに苦悩して日本近代文学の言葉、文体を模索する文人たちの悲劇性に胃が痛くなったり、実際にリアルタイムに胃の大患で漱石でなく、源一郎さんが倒れて、自ら週刊誌ネタでフォーカスして、胃の生々しいレントゲン写真を本書で公開したりと、文字通り過激に過剰に己を露出した。
でも、文学であり、フィクションであるものの何かを文学史の文脈で語り続ける高橋源一郎の作家としての振舞いはいささかも、揺るぎがない。
物語は二葉亭四迷から始まる。言文一致とは何なのか?自然主義文学とは?次から次へと登場する文人たちは、今ここに蘇ったかのような生々しさで現れる。ネタバレになるので詳細に述べないが、石川啄木なんか、渋谷の街に似合いますね。
とにかく、タイトルは、かた〜い、本は、あつ〜い、とっつきにくい体裁ですが、中身はとんでもない事がおこったりと楽しめます。でも、サービス精神も過剰し過ぎると、作家の悲壮感が漂い、読み手を厳粛な気持ちにさせました。彼は何かを吹っ切ったのでしょうか、源さんはファイアーリーチで燃え尽きるまで、突っ走るのでしょう。