武田徹/知の探偵

◆『調べる、伝える、魅せる!』(中公新書)の武田さんをネットの師匠と勝手にリスペクトしています。彼の知はバランス感覚の良さだと思う。科学ジャーナリストとしても一流だし、政治、経済、社会問題に関しても、傾聴すべきヒントを与えてくれる。戦争報道、書評を始め、マスからミニまで、アンテナは自在に張り巡らされている。ジムで身体を鍛え、メカにも強く、都市人としての彼は都会を廃墟として見る奥行きある批評を一方でしながら、都会を愛し、いとおしむハードボイルドな探偵の奮闘振りを示してくれる。まるで、24時間、闘っているのですかと、問いたくなるほど、彼のブログから、緊張感が伝わる。改行もなし、校正もなし原則打ちっぱなしの彼のブログは最初のうちは戸惑って、誤字脱字の多さに驚いたが、いまでは、そんな変換ミスを発見するのが楽しみになっている。勿論、前後の文脈であたりをつけてロムするのですが、それを武田徹の芸として、ぼくは受け入れているのです。リアルタイムの彼の情動が思考の軌跡となって、ぼくの裡深く打つのです。彼はジャーナリストであることに拘泥する。よきものが、脈々と師から徒へと伝わってこの国に肥沃なジャーナリズムが根付くことを、それが彼の“子を産み育てる”ことなんだろうと思う。現在ジャーナリストスクールが講義中です。

  • ブログの彼はこんなことをかいている。

同業のノンフィクションライターやジャーナリストと話をしていて大学時代の恩師の話はあまり出ない。ジャーナリズムは学問ではないと思うから学者から学ぶことはないと考えているのだろうか。そうだとしたらそれはすごくやせた考え方だと思う。ぼくのジャーナリズムを支えているのはある意味で古文辞学派の考え方だ。それだけでなくソシュールとか、ロラン・バルトとか、カール・レーヴィッドとかも大きいけれど、それらはみな大学で学んだものだ。それらがぼくの背骨になっていること、それは研究者とか評論家といった頭でっかち分野の仕事におけるものではなくて、身体を使って全人的に仕事をするジャ−ナリストしてのぼくの背骨になっていることをすごく確かな実感をもってぼくは言える。一方で当時、現場経験自慢にちょっとした反省の尾びれがついているだけの中途半端なジャーナリズム教育なんか受けても全然役には立たなかっただろうと、これまた自信を持って言える。

参照:『「核」論』/『戦争報道』/『偽満州国論』/『「隔離」という病』/『調べる、伝える、魅せる!』