きゃぴきゃぴな負け犬の擬態

少子 (講談社文庫)負け犬の遠吠え
◆『負け犬の遠吠え』は本年上半期に話題になった本である。出版業界全体も売上げが七年間マイナス基調できていたのに、本年、決算では微かながらプラスに転じている。実感はないけれど、ABCが廃業という事態があったものの、世の中は少しなりとも景気がよくなったのであろうか?確かにバブルの鬼っ子、娘たちはバブル崩壊後、負け犬の擬態を余儀なくされていた一面もあったが、♂♀を問わず、「子づくり」が相対的価値として、いくら笛吹いて踊らずで、「少子化」への歯止めは中々かからないであろう。過日、図書館の一室を借りて、「酒井順子」の本をテキストに読者会を行ったが、少子高齢化への道は避けて通れず、それを前提に置いた共同体作りがデザインされるべきであろう。「負け犬狩り」の撲滅運動へと問題を摩り替えさせないように注意しなければならない。まあ、♂の負け犬の典型である僕の言う事だから、説得力はありませんが、キャピ、キャピ娘?の順子さんの遠吠えを聴いて下さい
◆読書会での勝ち犬、負け犬の二分法は勝ち組、負け組のオメデタイ言説に繋がるわけですが、勝ち負けに拘り、二極分化が拡大して、中抜けになれば、当然、需要は冷える。大金持ちがそれに見合った贅沢で需要に貢献しない。車を何台と持っていったって仕方がない、胃の容量には限界がある。甲子園並の邸宅を持てば、安全管理が心配で、不眠症になる。特化することで、妬みや嫉妬で、近所付合いもままならぬ。テロの格好の攻撃の的になる。暮らしが不自由になる。上場企業の大株主の某さんが、どんなに、一生懸命金をつかっても三千万円以上は無理とおっしゃっている。まあ、マネーゲーム、ギャンブルにハマッていれば、別であるが、日常の暮らしでは、年間、三百万円でも充分でしょうと、まあ、こんなことが頭の隅にあったのか、『負け犬の遠吠え』で「中産階級」が幻想であっても、中流意識が拠り所になっている状況では、まだ、救いがあるが、完全に実情も、幻想も「中流崩壊」すれば、少子化がどんどん進行して、オスもメスも負け犬が増えるのではないか?そんなことも言いましたが、逆に一方で、ビンボーな人が大量に発生して、生活の手段として結婚を考え、案に相違して小子化に歯止めがかかるかもしれない。需要拡大の生命線はやはり、「中流(産)階級」を名実とともの育てるという例証で、モスクワに進出した地方銀行のことに触れましたが、毎日新聞4/8夕刊で、ロシアに中産階級層を育てるためにロシア国民に貯金の習慣を定着する試み「ミチノク・バンク」の記事がありました。こんなに頑張っている地方銀行もあるのですね。『みちのく銀行』の路線は間違いないと思う。ユーラシア大陸を中心に「中流」を育てる。アメリカの勝ち負け路線では、出口がない。早晩、行き詰まりますね。ただ、どうやってアメリカに路線転換をやらせるか。唐突に離縁状を突きつけると、アメリカの暴力装置は暴発する危険性がありますからね。テロも怖いけれど、アメリカも怖い。そんなコンセンサスがわれわれの中にあるのではないか?帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕