高田渡

高田渡/五つの赤い風船汽車が田舎を通るその時山之口貘 沖縄随筆集
◆映画『タカダワタル的』を観ました。まさに笑劇と言うか古典落語の世界でした。テアトル梅田も寄席の雰囲気になりました。ファーストシーンで、楽屋の高田渡が舞台に出る時間になり、スタッフに促されて、よっこらそと、立ち上がり、眼鏡を探す。ありまへん。でも、慌て騒がすステージに立って、お客さんに「メガネがみつからないけど、まあ、いいか、ぼくの歌なので、覚えているはず、まちがっていたら、勘弁ね」っと、多分そんなセリフで♪仕事さがし♪の歌が始まりました。結局、最初から最後まで、ほろ酔い加減のタカダワタルさんで、監督はタナカユキさんって女性の方なのですね。席は半分位埋まっていました。老若男女バラバラで様々な人達に愛されているんだと、まるで、古今亭志ん生のキャラで受け入れられているんだなぁと、そんな感慨を持ちました。柄本明が、そんな自分にないキャラに半ば嫉妬したのか、「彼は欲がないのではない。むしろ、過剰にある。欲の有様が違うのだ。だけど、俺がタカダワタル的に演じようとしたら、俺はジ・エンドだなぁ…」そのようなことを言っていました。

♪ごあいさつ♪って谷川俊太郎の詞に高田渡が曲をつけていますが、「どうも、どうも、…」そんなわけで、観て欲しいなぁ…。

◆確かにタカダワタルの欲望回路は容易にマネの出来るものではない。否定形の型で繋がっているんだろうと、最近、保坂和志の小説にハマッているぼくの思考回路もタカダワタル的になっているので、すんなりと、彼の世界に入り込むことが出来ました。 
毎夕、決まった時間に高田さんちを訪問する、野良猫?が逞しい食欲を披露して画面一杯に映し出され、振り返った猫の表情がキャッチされていたが、監督のタナカユキさんのちっちゃいエピソードの選択のセンスに感心もしました。さりげない日常の風景が生き生きと切り取られている。波乱万丈の筋書き、これ見よがしの劇画では引いてしまって、逃げ出したくなるぼくの感性では、文句なくオススメです。
◆ところで、山之口獏って言う詩人を知っていますか、彼の生誕、没は1903〜1963年で、小津安二郎と全く同じ。映画の中で彼の詩を歌っていたので、じっくりと、読みたくなりました。二人とも還暦で亡くなったんだ。高田さんは映画ではぼくより年上に見えるのに息子もオヤジと一緒に音楽仲間で孫がいる。でも、ぼくより年下なんだ。曽根さんがブログで川上弘美の『先生の鞄』で柄本明はミスキャストで、池部良だと言いましたが、勿論、最適で大賛成ですが、次善の策として高田渡も面白いかなと、思いました。監督もタナダユキにやってもらう。でも、セリフは憶えられないだろうなぁ…。

白猫亭 追憶の多い料理店宇野亜喜良60年代ポスター集壜の中の鳥