梶山季之/死語となったトップ屋

梶山季之(1930−1975)をbk1で検索したら、データは579件もあったが、どうやら、ちゃんと新刊購入出来るのは『せどり男爵数奇談』(チクマ文庫)ぐらいなものである。彼は書いて書いて書き尽くして燃え尽きて、街の本屋、駅の売店と、雑誌、週刊誌、新聞、書籍を立ち読みしても、梶山季之の名前にお目にかからない日はなかった。昭和30、40年代、をB級ライセンスで疾走したトップ屋だったのです。週刊誌記事はチームを組んでやる。梶山組として内幕ものや、スキャンダラスなドキュメントをものにしたが、一方で、B級小説を書き継ぎ、彼の一日に書き上げる原稿枚数は伝説的に語られるほど、信じられないほどの量産であったが、亡くなると、呆気ないほど、店頭から彼の本が消えた。その消え方は見事な速さであった。そして、やっと、バブルが崩壊して、『せどり男爵数奇談』だけが、奇跡のように蘇って、ものすごく懐かしい気持ちになった。だって、新刊本屋だけでなく、古本屋からも梶山季之の本は消えていた記憶がある。古書価値をも認められなかったのです。梶山が活躍した背景には週刊誌文化の活気があったのであろうが、現在のフリーランスルポライターにとって、梶山季之はどのような存在なのだろうか?大宅壮一は冠として語り継がれているばかりでなく、大宅壮一ドキュメンタリー賞はルポライター達の登竜門になっているが、どうして、彼は顧みられなくなったのか、現役のルポライターに訊きたい気がする。単にB級が原因だとは思わない。B級であっても、田中小実昌(1925−2000)、山田風太郎(1922−2001)のように亡くなっても、逆にファンが増えている。まあ、こちらはB級でも一流で“誰も真似の出来ない”世界を作ったが、梶山は所詮、B級の二流で、鮮度だけが取り柄の使い捨て百円ライターに過ぎずと片づけてもいいが、本人にとって、跡形もなく消えたのは本望だったかもしれない。しかし、『せどり〜』が残るとは皮肉ですね。♪『せどり男爵数奇談』