常世田良

出版社は勿論、書店人でも、常世田さんは図書館人を超えてよく知られているらしい。一読書人のぼくでも知っているぐらいだから、幅広い活動をしている方なのだろう。“ぶらりさんのブログ”で、『浦安図書館にできること』(勁草書房)が紹介され浦安に住みたくなったとオマージュを捧げているし、ぼくの関心どころを具体的に記述しながら、これからの図書館に向けて、マニフェストしているし、司書以外の本好きの人達にも是非ともオススメしたいです。

図書館が単に「本を貸すところ」であれば、書店と競合するだけの存在でしかなく、市場経済の邪魔をしていることになってしまいます。知識や情報の共有化によって社会を豊にし、国を強くしていく、そのために公共図書館があるのです。

常世田さんは、書き継いで、アメリカでは国の政策の中に公共図書館がきちんと位置づけられ、国の強力な情報機関としての役割を果たしていると言う。だからと言って、彼は国家主義者ではない。ヨーロッパにおける国家の知の独占から知を奪い取った歴史的経由に図書館を位置づけているのは当然で、彼がここで、強調したかったのは、日本の図書館行政は、図書館法という網羅的なものはあるにしても、現場の窓口で当然、拠り所となる条例、通達などはなく、あっても、法律的な根拠のあるものでなく恣意的なもので、自治体の首長が変れば、霧散霧消する頼りないものであって、専門性は要求されず、ニ、三年で移動する一般行政職と位置づけられる場合が多い。
 アメリカのように自治体と独立した機関でないことが、良くも悪くも、個人でスタンドプレイはし易いが、政策として、組織として動くことを嫌がる体制になっているみたい。常世田さんは、本書で盛んに、政策作り、ロビー活動の必要性、専門職集団として司書達が、教職員たちのように広域の自治体で人事の異動をなすような法整備を提唱するが、そんな大文字の図書館行政についてだけでなく、具体的に浦安図書館で行われている情報サービスの例を随時紹介してくれる。
 本好きの人達にとっても、興味あるエピソードがふんだんにあり、僕なんか、地元の図書館要請があれば、いつでもボランティアをしてもよいなぁと考えていたが、どうやら、それは甘い考えで、レファレンスなどの専門性に対して認識不足みたいです。そんな甘い考えをするのも、地域の人達が、図書館を貸本屋みたいな利用の仕方でやっていることに何ら疑義と、それ以上望まない安易さからくるものかもしれない。
 最近、巷で『自己責任論』が流行語みたいになっていますが、そもそも、そのような自己判断をするためには、「デジタル・ディバイド」がない公平な状態でなければ、自己責任論で弾劾は出来ないのは当然であろう。
 せめて、図書館が情報ポータルの機能を発揮して、電話一本でアメリカのように銀行の格付け、株に関することも、求人に関することも、医学情報も、新聞の有料過去ログも、データベースに全国の図書館がお金を出し合い、協力し合って、ネットワークを構築する体制が欲しい。個々人が単発で契約を結ぶ煩わしは回避して、一件毎に、図書館に情報代として支払えば良い。
 ぼくはインターネットで検索すれば、有効な情報がスピーディーに得られるものと安易に考えていましたが、ノイズの山から見当つけても、中々満足する情報にヒットしない。だから、時たま、図書館で情報捜しをやるが、多分、一般の行政職の職員、パート、アルバイト、だと思うが、ぼくよりスキルがないと思う人が多い。
 韓国では図書館長は司書の資格が要求される。どうも、日本では図書館を巻き込んだ「情報ハイウエィ構想」が法的に整備されていないみたい。財政で法的規制のある「義務的経費」の項目予算がないことにはびっくりした。でも、ハコモノは全国において毎年50〜100館の公共図書館が建設され続けているが、中身の点においてあまりに問題が多いのは、ソフト面でのコンセプトが明確でないのであろう。
 「大人の図書館」というコンセプトで“ビジネス支援サービス”を軌道に乗せることも必要であろう。かやうな産学一体のようなシステムは、それによる資金の流れのパイプを広げることにもつながるであろう。そもそも、浦安はディズニーランドの税収入が大きくて、思い切った投資の出来る財政上の余裕があるのでしょう。そんなイヤミを言ってみたくなるほど、浦安市立図書館長の常世田さんの仕事振りは見事である。ぶらりさんが書いているように、ぼくも、浦安に引越ししたくなりました。
 アメリカではヒラリー・クリントンが会長で、アメリカ図書館友の会という大きな団体があるが、日本ではあるのかな?