片山恭一

今年、上半期、『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館)の“純愛”は韓国の『冬のソナタ』を含めて、社会現象の態をなしましたね。純愛をキーワードに社会学者、心理学者、文化人たちが世界解釈を試みているみたいですが、“泣く”となれば、『世界の中心で愛〜』が火をつけたみたい。映画の方も予想外の動員数で監督、俳優たちは地団太踏んだらしい。どうも契約条項が詳細には分らぬが言ってみれば「固定家賃」か「歩合家賃」かの違いである。こんなに観客が動員出来るなら、歩合でよかったというわけである。テレビにもなったのでしょう。(両方とも観ていないので、確認していませんが…)でも、オモロイのはアマゾンでデーターをロムしたら、厖大なレビュー数の殆どが、「泣けませんでした」になっている。絶賛票を検索するのは困難なぐらい。ある閾を越えると、評価はどうでもいいのであって、話題性で観る、読むをした人が大半であることが窺われる。あんまり、辛いレビューばかりなので、へそ曲がりなぼくとしては、何やら片山さんをフォローすることを言いたくなった。
小説家としてのキャリアは長く、島田雅彦よりは年上である。村上春樹の初期の文体に似ており、物語の筋立ては兎も角、ぼく的にノレるリズムであれ、メロディーなのです。だから、本書だけでなく、他の本を読んでも、「ああ、この人は基本のしっかりした人なんだ」と安心できる人なんです。多分、この思いもかけない喧騒に一番、戸惑っているのは作者自身でしょう。ぼくもbk1に書評をアップしています。こちらも30件と凄いアップ数です。 

ぼくはいつも泣いている。悲しいからではない。楽しい夢から現実に戻ってくるときに、跨ぎ超さなくてはならない亀裂があり、涙を流さずに、そこを越えることができない。何度やってもだめなのだ。

確かにクサいフレーズである。手持ちのクリシェは高が知れている。組み合わせだけで、泣かせてみせる。でも、そうはいかない。必然か、偶然か、勿論、どちらでもないであろう。ただ、言えることは駄作であれ、何であれ、志を持つ作家であれ、アーティストにしろ、作品つくりの時点では憑代の秘儀を執り行っているのであろう。作品が完成し、発表されて金縛りから覚めてみれば、賢者の石と思っていた作品が石ころに見えて恥ずかしくなる。でもその石ころがペイするどころか、想像だにしなかった過剰な利益を産むこともある。僕は『満月の夜、モビイ・ディックが』がオススメ。この本なら納得出来る。発刊時に評判を呼ばず、どこかの本屋の書店員が販促に火を付けたらしい。似たようなストーリーでベストセラーになった『天国の本屋シリーズ』の『恋文』と同じ作者コンビの『プール』と本書の担当編集者は同一人物である。出版流通に興味のある僕としては当然、探偵ごっこをしたくなる。
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