サム・クック/A Change Is Gonna Come

二人の顔の表情が一つになった。「オレだってさ。人間、決して死ぬことはないんだってな。ハ! 国家がパニクるのも当然だよな。魂の不滅を信じる民衆を管理してくなぁ不可能だもの。国家ってもんは大昔から人民の生死を左右する力を密かにふるってきたわけよ。それがいつも最終的な締めつけの力になってきた。ところがアシッドが広まって、そのことがX線みたいにみんなに透けてみえるようになってしまったわけだ。取り上げようと夢中んなるなぁ当たり前だな」/「でもさ、実際起こったこたぁ取り上げらんねえだろう?見透かれてしまったこたぁ」/「簡単よ。忘れさせりゃいい。脳の中へ刺激をを大量にぶちこむ。一分たりとも休ませない、映像と話題とサウンドの濁流、それがTVってもんじゃないか。それと、自分でいうのは辛いんだが、ロックもどうも同じもんになってきてるみたいだぜ。みんなの心を吸い上げて、世の中見えなくしてしまう。俺たちのビューティフルな信念もどんどんかき曇らされてってさ、結局また死を信じるようになっちまうんだ。そうしてみんな、再び彼らの支配に落ちていく」―あの頃よく聞かれた語り口である。/「オレは忘れんぞ」ゾイドは誓う。「国家権力がどうだろうと、知ったことか。オレたちが輝いてたころのさ、あのグッド・タイムズは永遠に不滅だ」/輝いていたことが罪なのさ。彼らはそれを許さなかった」。ムーチョはステレオに歩み寄り『ベスト・オブ・サム・クック』をターンテーブルに載せた。二枚組みのオールディーズがたっぷりと部屋に流れる。窓の外の灯りの消えた荒野では、目に見えぬ<時>の巻き返しの力がうずまき、子供のころの緑の自由なアメリカは不毛な溶岩台地の要塞国家へと急速に回収されていっているのだとしても、部屋のなかは、初々しいソウル・ミュージックが<時>の説教台から流れてくる古き佳き日の説教のように響いていた。―トマス・ピンチョン著『ヴァインランド』p466~7より―

表題の晩期のヒット曲はいまだに入手できない状態らしいが、本当?1964年12月11日、サム・クックロスアンゼルスのモーテルの一室で女性管理人に射殺される。二ヵ月後、マルコムXは暗殺される。そして、1968年をピークにアメリカ、パリ、東京と、『風に吹かれて』、スチューデントパワー、ヒッピーが、吹き荒れたのですが、今度の小泉内閣の閣僚の一人が、元ヒッピーって挨拶していましたね。久しぶりに“ヒッピー”なんて聞きましたよ。