ガブリエル・ガルシア=マルケス

昨日のバロのカキコについて、ちょいと、マルケスのことに触れましたが、常連訪問者shohojiさんに、単にマルケスだけの表示はまずいのではないかと、忠告されまして、念のため、マルケスにリンクが張られていたので、、クリックすると、最初に眼に飛び込んだのは、サッカーのマルケスでした。成る程、ちゃんと、“ガブリエル・ガルシア=マルケス”と正確に書かなくてはいけないんだと、納得しました。shohojiさんの言うのには、スペイン語圏の習慣として、名字は父方、母方両方くっつき、ガブリエルが名前、ガルシアが父方の姓、マルケスが母方の姓ということになります。そうか、光司・栗山=小川ってことになる。何か、いいですね。通常、ガルシア=マルケスって言ってしまうが、まるで、両家の看板を背負っているみたい。
マルケス(又、省略してしまう、カンベン)の『百年の孤独』、『族長の秋』、『予告された殺人の記録』、『エレンディラ』は読んでいますが、やっぱ、小説の面白さ、凄さを体感するには、是非ともオススメですね、まあ、ぼくなんかが、言わなくとも、様々な人たちが、いたるところで、何十年と語っているので、いまさら、付け加えるものはありませんが、エンターティメントしか、読まない人でも、騙されたと思って、冒頭の数行でも立ち読みして欲しいですね。必ず、そのまま、読みたくなること、請け合いです。でも、絶対に『あらすじ本で読む名著』なんかで、ズルして、一丁上がりで片付けないで欲しい。折角、いい男、いい女にめぐり合ったのに、実物に触れようともせず、写真でメイク・ラブする倒錯の道に歩むことになります。まあ、それも、いいかもしれませんが、ここは、勇気を奮って、本物の味を噛み締めて欲しいなぁ…。感度強化ってとても、大事だし、急に世界が違って見え始める。そんな本なのです。だから、古典なのです。つまらなくなったものは、古典ではないのです。