ハーモニカ吹く「ノーエ」のおっちゃん

取っ替え引っ替え唄っていた軍歌も尽きて、列車はまだ到着しそうにもない。送られるほうは姿勢が持たない。送るほうも景気が続かない。激励の声をかけるにはとうに間合いがはずれた。つとめて賑やかにしていても沈黙が押し入る。青年のこの先の身上の、想像が忍び寄る。酷いという心がいまさら動く。しかしこの町にも最近、一郭だが修羅が現れた。われわれも先のことはわかりはしない。そこへ男が日章旗を取って駆けあがる。/酒は入っていたのだろう。浮いてはいなかった。苦しげに見えるほど真剣な形相だった。追いつめられた者の、逆に掴みかかり、さらに噛みつく気迫だった。しかし旗を思いきり降るたびに、左右に揺する腰にはおのずと物狂いの、おのずと嘲弄的な自己放擲の、お道化の色のあらわれるのを、子供はそんな言葉を持ち合わせなかったが感じた。苦しげに力んだ顔が笑っているようにも見えた。俄かに調子が変わって、見送り連一同戸惑いもしただろうが、見棄てておくわけがない。輪をかけて躁いだはずだ。―古井由吉著『野川』“石の地蔵さん”より―

出征兵士を見送る駅頭で少年はノーエ節に驚く。ぼくも古井由吉さんの新刊『野川』の名文、名調子で、“ノーエ節”を聞きたくなった。いや、シンクロして口ずさんだ。え〜と、そうだ、小沢昭一で検索すれば、わかるかもしれない。やっぱし、ありました。日章旗を振るってノーエ節を唄う男を演ずるのは小沢昭一しか、考えられない。ハーモニカ芸も聞きたいなぁ…。彼のエロ芸も見てみたいけれど、まだ、大丈夫かな?

♪富士の白雪ゃのーえ/ 富士の白雪ゃのーえ ええ富士のさいさい/ 白雪ゃ朝日に溶ける/溶けて流れてのーえ /溶けて流れてのーえ ええ溶けてさいさい /流れりゃ三島に注ぐ/三島女郎衆はのーえ /三島女郎衆はのーえ /三島さいさい 女郎衆は御化粧が長い/御化粧長けりゃのーえ/ 御化粧長けりゃのーえ ええ御化粧さいさ/ 長けりゃ御客が困る/御客困ればのーえ /御客困ればのーえ ええ御客さいさい/ 困れば石の地蔵さん/石の地蔵さんはのーえ /石の地蔵さんはのーえ ええ石のさいさい /地蔵さんは頭が丸い/頭丸けりゃのーえ/ 頭丸けりゃのーえ ええ頭さいさい/ 丸けりゃカラスが止まる/カラス止まればのーえ/ カラス止まればのーえ ええカラスさいさい/ とまれば娘島田/娘島田はのーえ/ 娘島田はのーえ ええ娘さいさい /島田は情けで溶ける♪

  • この石の地蔵さんでなく、明治の世になって、野毛の山(ノーエ節)もあるのですね。戦後になれば黒澤明監督の名画『天国と地獄』の地獄から望む野毛の山だったかな、

♪野毛の山からノーエ /野毛の山からノーエ /野毛のサイサイ 山から異人館を見れば/鐵砲かついでノーエ /鐵砲かついでノーエ /鐵砲サイサイかついでならび足/おつぴきひやらりこノーエ/ ちいちがたかつてノーエ /ちいちがサイサイたかつて /おつぴきひやらりこノーエ/天滿橋からノーエ/ 天滿橋からノーエ /天滿サイサイ 橋から東を見れば/鐵砲かたねてノーエ/ 鐵砲かたねてノーエ /鐵砲サイサイかたねて小隊進め/おつぴきひやらりこノーエ /ちいちがたかつてノーエ /ちいちがサイサイたかつて /おつぴきひやらりこノーエ♪

横浜の野毛の山はぼくには懐かしいところですが、二番が天満橋でノーエだったんですね。これを聞こうと思えば、小沢昭一のCDに収録されています。古井さんのこの本も酔える本です。でも、緊張を強いられるので、小沢さんで骨休みすると、良いかもしれない。