茂木健一郎

『ぼくの脳内現象』って言うと、「おまえは、とうとう、アルツハイマ−・クライスを感じ始めているのかなと、早とちりする人がいるかもしれない。レーガンの先例があるので、アガリクス液を飲み続けている見事な効果で、確かにそんな可能性もなきににもあらずだ。でも、もとから、阿呆ダンスを踊り続けているので、その境界線は確定出来ない。阿呆度を測定する数値項目は、どのようにマニュアル化されているのか、…。そんなわけのわからぬ枕を述べないと、書くこと、話すことの糸口が見つからないというのも事実です。御勘弁を…。 
では、本題:え〜、最近、継続して読んでいるのは茂木健一郎なんですが、どうも、まだ茂木さんの「クオリア」が伸縮自在の概念で、自分の裡に充分、熟れていないのです。始めてクオリアに似た「クオリティ」なる言葉にお目にかかったのは、98年の癌治療方法の選択で、全摘手術をするか、郭清+放射線にするかで、結局、「クオリティ・オブ・ライフ」が大事なんだと、スパゲティ状態を出来る限り回避したいと、躊躇なく手術をお断りした。
郭清してみれば、リンパ節に転移していたものの、今度は内分泌療法で、数値化された五年生存率をクリアして、今、現在、延命しているから、治療は成功だったと評価されるでしょう。近代科学の拠り所は数値で、どうやら、五年生きれば医学の勝利で、「クオリティ・オブ・ライフ」は何らかのメルクマールにしようとも、数値で表現出来なければ、精々参照程度である。だからこそ、ぼくはバカの一つ覚えみたいに医者に向かって“クオリティ”を連呼して、その数値で表現出来ない患者の想いを“クオリティ”に託したわけです。そんなクオリティ想いが医者に何処まで届いたかわからない。何とか経過観察によれば、順調で、実際、“クオリティ・オブ・ライフ”があたりまえになってしまうと、“クオリティ”から遠のいてしまいました。そして、徒然にパソコン生活も始めるようになった。メカ音痴が唯一、機種選択のメルクマールは仕様書で、項目毎の数字を比較検討して、容量は大きいのがいいんだろう、画素数もそう、値段との兼ね合い、そんな数字で検討する。そうやって、説得されてソニーバイオを購入したのです。順調に遊びました。bk1の書評投稿も始めました。ネットサーフインはすぐに退屈したので、日々パソコンに触る習慣をつけるためには何かストイックな“アフォード”が継続しなければならないと、思ったからです。アップされることで、励みともなり、スキルも少しずつ向上しました。 
そんな時、ソニーが「クオリア」なる製品を発表したのです。ぼくが時々書き込みする掲示板でも話題になりました。偶々、心斎橋のソニープラザの会員になっているので、「ソニークオリア」なる商品を手に触って確かめようと出かけたのですが、デジカメの画素数も少ないし、仕様書の数字で表現出来ない部分に技術の粋を集めたもので、アートと技術のドッキングのような“わからなさ”が、ありました。ショールームのスタッフの説明を聞いても、数値というより霊感だな、と意味不明の僕なりの言葉を吐いて自分で無理矢理納得させました。スタッフの目が笑っていました。 
そのクオリアの象徴とも言うべきソニーの頭脳は茂木さんだったのです。メカ音痴のぼくはその時は、そんなことは知りませんでした。茂木健一郎の名を知るようになったのは、保坂和志さんの掲示板です。そう、小説→文学の茂木健一郎ソニークオリアクオリア→心脳問題としての茂木健一郎になって、やっと、『意識とはなにか』(ちくま新書)、『脳の中の小さな神』、『脳内現象』を読んだのです。
昨日、梅田のブックファーストに寄ったら、棚担当者が手作りの、想いが伝わる見事な『心脳問題』コーナーを設置していました。新刊の『脳の中の小さな神』、『脳内現象』は十面位の面陳(メンチン)で、迫力満点、前景化していました。ぼくは、もう、読了していますので、認知哲学の基本に帰って、小林秀雄の講演テープ『現代思想について』にも示唆されて、ベルグソンの『物質と記憶』(白水社)を買いました。ゼロからスタートです。『脳内現象』はリスペクトするオリオンさんのレビューを紹介しておきます。⇒ 『bk1』⇒ ♪『千人印の歩行器の茂木さん』 、⇒『心脳問題』(8/3)