評論として観る映画の怖さ

先日の京大学園祭での映画談義でタランティーノの『キル・ビル』について中原昌也蓮実重彦の対談で、中原さんが全く認めないのに、蓮実さんがいいと認めて、互いの話が平行線になってしまったが、さっきビデオで借りて、タランティーノ初体験だったのですが、そのオタクぶりに勘弁してよと、トイレに三回も行きました。この映画は深作欣二に捧げられているが、鈴木清順に捧げた方がいい、あ、でも、清順さんはまだ、お元気ですよね、僕はB級映画、C級映画に相性が悪いのでしょうか、退屈で仕方がありませんでした。細部に拘泥したり引用を楽しんだり、そんな映画オタクにとって、こんなカタログ映画は面白いのでしょう。B級映画史をなぞって、小奇麗にアンソロジーしている。そんな感じ。

B級映画をそんなに観ていないぼくにとって、、目の前の『キル・ビル』だけを何の思い込みなしに、まっさらな気持ちで観るには苦痛でした。格闘のシーンでは笑ってしまいました。勝新座頭市中村敦夫木枯らし紋次郎萬屋銀之助の子連れ狼、アラカン鞍馬天狗のチャンバラには興奮するのに、おしっこが近くなってしまったのです。

しかし、面白いですね、オタク度の高いのはむしろ蓮実さんで、中原さんは僕と同じぐらいマットウ度が高い。この映画はどう観たって、耐えられなかったです。でも、蓮実さんの評価の内実はわからない。その理由を再三、中原さんは蓮実さんに訊いたのに、「だって、いいんだもん…」って言うような可愛げな答えで、はぐらかすのだから、中原さんも笑ってしまい、それで、蓮実さんを許してしまう雰囲気になりました。

「まあ、ちゃんと映画になっている」ということを蓮実さんは言いたかったのでしょう。「映画でない映画があまりに多すぎる」と、そんなもんと比較しての相対評価らしいが、どんな映画と比較しているのだろうか?先日観た深作欣二の『道頓堀川』はホンマによかった。映画史を参照しても、精々『キル・ビル』程度のものにしかならないとしたら、もはや参照をリセットして映画つくりをやってみる冒険を中原昌也にやらせてみたい文脈になり、ゴダールを顔色ならしめよと、蓮実さんが中原さんにハッパをかけたわけです。

映画監督をやれと、でも、蓮実重彦って、何か裏がありそうですね、ヘタに教授の誑しにのると、クワバラになる予感がします。そのあたりの微妙な感触は中原昌也の野良人感で受信しているはずです。あんまり、中原さんは喋らなかったが、物怖じしていなく、自然体で、この対談は引き分けです。
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