映画評論家

映画批評家は細部に拘泥するあまり、先に診断ありきで、聴診器を持ったまま映画鑑賞をするのであろうか、先日、ドキュメント映画を観た折、同じ席列で携帯電話の青色ダイオードを発光させている。三つ四つ離れた席なので、まあ、いいかと気にしなかったが、同年輩のおばさんであったが、映画を観ながら、時々キーボード打ちをやっている。

携帯のない旧人類としては詳細な利用方法は分からぬが、これって、金井美恵子が『小説文章教室』で映画評論家が京大式カードを持参して、映画をみながらペンライトの灯りの下、メモをするという離れ業をやっている映画鑑賞の恐るべき作法を紹介していたが、ひょっとして、蓮実さんもこれと似たようなことをされているんであろうかと、疑念を持ったのです。

もしかして、このおばさんは、ライターか、映画評論家で、カードの替わりに、親指でメモしているんであろうかと、疑い始めたら、青色の光が気になって、映画に集中出来ない。とうとう、手を伸ばして、おばさんに注意しました。その反応の仕方を見ると、やはり、映画と関係ないメールを打っているのでなく、ライブで映画感想メモしているんだと確信を深めました。フリーライターの方で、映画に拘らず、かようなメモ機能を利用するのは通常なのであろうか、教えてもらいたいですね。僕なんか映画を観るときは脱力して観たいもんだから、こんな鑑賞方法は勘弁してもらいたいですね。

そう言えば、蓮実さん、スビルバークは女を撮るのがヘタで、ある女優のキスシーンで真正面からライトを当ててアップで撮るといったおぞましさは、ちゃんと、キスした経験がないのではないか、ちゃんと見たことがないんではないか、男は陰影をつけて上手に撮るのに、そんな細部を検証する話はやはり映画評論家の文法なのでしょう。表層批評家としての新骨頂なのでしょうか、でも、知として楽しむよりは映画そのものを楽しみたいんだと思っている人にとっては、蓮実さんの話は煩わしいですね。淀川長治がニセ教授と揶揄してたらしいが、ぴったんこのイメージですね。大昔、まだ蓮実さんがそんなに有名でない頃、確か渋谷ですれ違った折、本でしか知らなかったのに、「あ!蓮実重彦だ」ってすぐに分かりましてね、そのキャラ立ちは特異なものがありました。書くものと風体が一致しているといったところなので、信頼性の強度は高いです。でも、説得されたくないと言ったところですか、しかし、喋りは上手いですね。