誰もが知ってる未知の国(旧ブログより転載)

台風一過、一万歩コースの八幡市立図書館に行く。アップダウンがきつく、男山を抜けて、石清水八幡宮の麓にあります。ここの図書館は隣接の枚方市と違って、中央図書館を完備するシステムで一点豪華主義というか、一館の資料の充実さは、都心の図書館に負けない。『文学界』のバックナンバー(昔と違って純文芸誌を置いている街の図書館は稀少です)で斎藤環の連載『文学の徴候』から保坂和志を取り上げた『抵抗する猫システム』を読んでみたかったのです。予想通り、2003年度のバックが開架の棚にありました。
ぼくは枚方市在住なので、ここで貸出カードを発行してもらえないのです。念のため、顔なじみの職員に訊く。というのは、前に何とか貸し出しできる方法はないだろうかと相談したら、今度、会議がある時に、かような声がある旨、提案すると前向きに答えてくれたのです。大阪府京都府内での地域同士の交互サービスはやっているのですが、府内を越えてのサービスは未整備なのです。でも、地域に在住、在勤しなくても、ぼくは大阪府枚方市の在住ですが、京都府立図書館で貸出カードは発行してもらえるのです。在住、在勤が条件ではないのです。単に身分証で結構です。となると、京都府立図書館のカードで京都府八幡市立図書館の資料を貸出し出来るのではないかと、稟議したのです。理屈は一様、通っているのです。でもダメでした。京都府立図書館を迂回して八幡市立図書館の資料の貸出は出来ます。そんな面倒さを省いて、ぼくが直接、八幡で借り出す。合理的で経費の削減も出来る。でも、システムがそうなっていない。何かおかしいですね。仕方がないので、『抵抗する猫システム』をコピーしました。それから、電車で天満橋まで行き、専門図書館に勤務する「歌って踊れる図書館司書pipi姫」さんに会いに行く。保坂さんの本を巡っての読書会をやるので、ぼくは参加しませんが、刺激を与える資料になるのではないかと、思い、届けてあげようと思ったのです。その報告はpipiさんのBBSにカキコしてますが、コピペします。
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ぼくは不参加なので、ぼくのブログで継続してこのテーマを考察してゆく作業で追々カタチを整えたいとおもいますが、斎藤環の論考で、最後に東浩紀の「動物化」に触れてますよね。奇妙な腑の落ち方をしました。保坂の「猫」は人間の内面と違った回路で「内面」があるんではないかと、存在論的に考察しているのですが、東浩紀の「動物化」は工学的に人間(歴史、民族など、物語を拠り所にしない)を捉えている。フーコは生物学として、人口として人間を捉えましたが、保坂の「猫の内面」という言葉にびっくりしたのです。前回の読書会でデフォルメして図式化した三番目のボックスですね、保坂の猫と東の動物化(彼等は肯定的に捉えている)は、ぼくの中で奇妙な一致をしたのです。そもそも、東の 『動物化するポストモダン』から、大塚英志宮台真司島田雅彦大澤真幸と来て、保坂和志の小説を偶然、読み始めることになったのですが、ぐるりと、回転して東に来たので驚きました。しかし、【A】東浩紀保坂和志/【B】大塚英志(おたく戦後民主主義)・宮台真司(ロビー活動に向かう絶望)・島田雅彦天皇に萌えるシニシズム)・大澤真幸(虚無にコミットメントする第三者の審級)と、まあ、【A】/【B】の問題設定を今、ぼくの中でしているわけです。この二つの大きな違いは【A】は意識して政治的なコミットメントをしないわけです。そういうことが底流にあって創刊号『新現実』を東、大塚で立ち上げたのに、結局、別れてしまった。【B】の人達は、殆ど、pipiさんたちと同世代ですね、戦後民主主義の虚構性、又は普遍化のスパイラルで、そこに虚無を見るのですが、まさに宮台の絶望を踏み台にした、ゲームに近いねじれです。ただ、言えるのは民族とか、歴史意識とか生々しいものでなく、虚無をエネルギーとして、天皇に向かったり、民主主義に向かう。そうは言っても、【A】、【B】はある種の親和力がある。でも、ぼくらの世代、団塊サヨクでない左翼たちを【C】でボックス立ちをすれば、【A】【B】/【C】になるわけです。だから、東浩紀笠井潔との往復書簡集『動物化する世界の中で』で噛み合わなかったのだし、大澤との対談『自由を〜』は大成功したわけです。ぼくが編集者なら、保坂和志東浩紀の対談集を画策しますね、【B】、であれ【C】であれ、結局のところ、ニヒリズムの臭みがあるのです。東、保坂に新鮮な驚きを感じたのは、【A】には、そんなニヒリズムの臭みがない。何でだろうと考えると、結局、「人間」を相対化している世界観が背景にあるのではないか、猫も人間も等価なものとして提示されている。「動物化」であろうろと「猫」であろうと、それを積極的、肯定的に捉まえている。
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それはそうと、武田徹さんの日記をロムしたら、道路上に轢かれて放置された猫の死骸のカキコがありました。それを読むと、何故、こんなにも哀しくなるのだろうかと思う。
追記:予想どおり、保坂和志東浩紀を結びつけた僕の思考実験というか、思い付きに「吟遊 旅人」のpipiさんから待ったが、かかりました。ぼくも違和を覚えつつ思い切って、生半可なまま、上記の如くカキコしたのですが、宿題として保留しときます。