旧ブログより転載(ざる蕎麦)

武田徹『調べる、伝える、魅せる!』のレビューをbk1にアップしましたが、最後に言い残したことがあるので、ここに追伸みたいにカキコします。『むすんで、開いて、魅せまっせ!、そして、むすぶ』というタイトルで、「むすんでは調べる、開いては伝える、そして、魅せるは演出」という流れなのですが、おわりにで、ざる蕎麦の欺瞞性について、(注:今日の昼飯は久し振りにざる蕎麦を食べました。)武田さんは書いている。蕎麦の謎は本文で確かめてもらうとして、

表現は表現が終わった時点から始まる、という逆説がある。表現してみて、かえって表現できなかったことがわかり、そこから次の表現のための挑戦や模索が始まる。(略)「開いた」瞬間から新しく「むすぶ」必要が生じてしまう。

ジャーナリスト、表現者の良心は、かような新しい謎を生み出す力と言っても良いのでしょう。