赤いりんごに唇よせて、…りんごの気持ちは?

りんごは赤じゃない―正しいプライドの育て方そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)できる男の顔になるフェイス・ビルダー―人生を変えるフェイシャル筋トレりんごころころ (松谷みよ子 あかちゃんのおいしい本)
◆前日のエントリーでりんごの匂いについてカキコしましたが、もう二年半前になりますか、公立中学校のカリスマ教師の奮闘ぶりをルポライターの山本美芽さんがドキュメントした『りんごは赤じゃない 正しいプライドの育て方』bk1拙レビューをアップしたことを想い出しましたタイトルは『動物化しないりんごのきもち』と書いた本人も疑問符が残るレビューですが、その当時、こんなことを考えていたんだと、微苦笑しました。でも基本はそんなに変わっていない。あまりにも大仰な鼻につくメッセージ性が高いカラオケレビューですが一部、紹介します。書名をクリックすれば全文読めます。

[……] /今年、四月から公立学校で「総合的な学習の時間」がスタートしたが、太田はそれを既に実践していたわけである。学習要綱のコンセプトは「生きる力を育てる」事である。ただ、太田の全力投球にも限界がある。家庭の愛情である。倫理どころか愛情さえ欠如してたらどうしようもない。まるごと自分の生き方に自信のない大人が責任をマニュアルに預けて教育をしたところで、そんな嘘は子供達に見破られる。先日、元子供の仲間と群れている二十代の若者から生まれて初めて書いた手紙が来た。「…Kさんは自分自身を好きになれと言うが、仲間の皆は本音では不幸せになれと願っている。俺自身がそうだし、そんな自分を好きになれるはずがない」。どこもかしこも、ルサンチマンばかりである。自分の中の他者をまず、愛しいと思ってもらわないと会話が成立しないといくら言っても理解して貰えなかった。「Kさん顔ですよ」。彼は長時間、鏡の前で顔の手入れに余念がない。市場に流通するキャラクターの顔に何とか似せようとする。彼の生きる力は動物化した反応でしかない。内面は邪魔でしょうがない。生きる力を阻害するものである。1971年生まれの若手気鋭の哲学者東浩紀が著した「動物化するポストモダン」の状況は当たり前なのだ。物語の復元、新しい物語の創造と言っても様々なデーターの組み合わせに過ぎない。倫理も所詮、そこから派生するものなら淋しい限りである。だけど、「エロス」は違う。エロスとしての倫理はデーターバンクから汲み取る事は出来ないのではないか。恐らく、そこに恋や暴力がある。子供達の「調査研究」(データーバンク)の果てに一枚の絵が大人達に芸術的感慨を与えたとするなら、きっと、そのようなエロスが封じ込められているに違いない。「パンドラの函」に希望は残っていると信じるしかない。「赤いりんごに唇よせて、…りんごの気持ちはよくわかる」。並木路子の歌声が焼け跡にこだまし、明るい希望の青い空の下、戦後民主主義はスタートしたわけであるが、虚妄であろうと、りんごは赤であると言う記号は冷戦時代まで機能していた。最早、リンゴは赤じゃないと近代の物語を終焉させ、子供達に「調査研究」の体験を積ませて自分なりの色を見出し様々な「りんご物語」を描いていくためには「情報開示」が必要である。これは基本のモラルの一つである。

◆「パンドラの函」を開けば、「鼻がつんとして」、赤であろうと、黄色であろうと、「希望の匂い」が立ち込めて来るなんて、ちょいと気障な言い方かな、でも、そんなリアルさを感じないと、感じると、僕自身が赤面して、恥に触れる至福が到来するかもしれない。貨幣がこちら側の人と人とをつなぐ饒舌なツールなら、「恥」は何にも喋べらないけれど、その中にぼくも絡みとられている「他者」であれ、「世界」であれ、こちらもあちらも風通し良く、すべてをつなぎ、交合する希望なんだと思う。武田徹ブログ・『私』(1/24)というエントリーでこう書いていました。

[……]サイゼリアにはさっきまで試験を受けていた学生がいた。マス授業だけど試験の時はカンニングチェックのためもあるし、正直いって他にすることがないので学生の様子をよく見ていて、服装に特徴があったのでこっちは覚えていたが、向こうは全然記憶にないらしい。出会っていないのですな、教員と学生は。アレントは「私的」ということについてこう書いている。「完全に私的に生きるということは、真に人間的な生を生きるうえで本質的な事柄が奪われていることを意味する。つまり他者によって見られ、聞かれるという経験・・・から生まれるリアリティを奪われていることを意味する」。大人数の教室にいてそれぞれの私は同じ場にいながら互いを疎外して出会っていない。互いの前に現れていない。そんなことが多すぎる。そんなことを許しすぎている。

◆生きるということ、リアリティは他者を排除した「私」には訪れないことは間違いないと思う。しかし、画像アップした「顔の手入れ」の本は売れているみたい。就職戦線の副読本として購入されているとは…。何か、鬼気迫る「私」ですね、レヴィナスの「顔」なら大歓迎ですが、僕が面接官なら「赤面する顔」に票を投じます。