ブロガーかブロッガー?批評か、感想?

◆『ユリイカ』の四月号に内田樹的『ブログ論』が掲載されるらしい、それについて、当然先生はネットに関して物凄く詳しいと思っていたのに、どうやらぼくとそんなに変わらないスキルみたい。

なぜ私は自身で新しいコンピュータ・リテラシーを獲得することにこれほど不熱心であるのか?にもかかわらず、なぜ私は「IT関係作業の丸投げ路線」を驀進することによて「人文系学者でおそらく日本最高」といわれるIT環境を享受できているのか?おのれの「無知・無能」のよってきたるところを追尋する問いを二つ立てることによって、私はただちに結論を得たのである。それは「インターネット・コミュニケーションもまた『人間はひとりでは何もできない』ということを私たちに思い知らしめるための人類学的装置であるという点で、先行するすべてのコミュニケーションと同質である」というものである。締めのお言葉はいつものようにレヴィナス老師にお願いする。ー『史上最弱のブロガー』よりー

◆まさに内田節の真骨頂です。笑ってしまう。四月号が楽しみ。しかし、ブログに関する言葉はこの一年でネット上を席巻したが、その浸透スパイラルは堀江さんのライブドアみたいに驚くことが多いですね、こんなことも出来るんだと新しい発見もあります。まだまだ、進化していく使い勝手のいいツールに間違いない。でも、ぼくはブロッガーと思っていたのに、ブロガーなんですかね、まあ、ブロッガーの方がハードロッカーのように強そうな音調があります。史上最弱なのでブロガーなのでしょうか…(笑)。
◆ぼくはジャーナリズムの視点から、マス、ネットというくくりで、武田徹さんのオンライン日記でブログについて色々勉強させてもらいました。ブログという言葉が全く知られていない頃からのHPでの掲示板を今の視点から見れば何らブログと変わらない日記をアップしていたのです。レスできるHPの掲示板なので、ツールとしてそんなに差異がない。サーバーがここみたいに『はてな』を経由するなら、ブログ(オンライン日記)になるのでしょうか。ちなみに、武田徹サイト名は『オンライン日記』です。今は休止状態ですが、レスが出来ました。武田さん自身も時期をみて又やりとりできる掲示板の再開は考えているみたいです。真面目にレスすることは、物凄い消耗を要請されます。

…公共圏とは対になる概念のように思われるが、閉じた親密圏の中で交わわれた議論が、実は公共的に通用する価値を持っているという逆説がありえる。もっと極端な話で言えば、アーレントは一人の思考にも内的対話があるということで、他者の介入を認め、公共性の萌芽をそこに見ている。正しく一人で思考することが公共的でもあるのだ。
武田徹オンライン日記よりー