批評と感想

◆そんな折、小説家の保坂和志さんがHPの掲示板で日々更新のオンライン日記を書き始めました。過去ログとして残すことなども考えないで、ライブに脱力してカキコするらしい。ここはレス出来るので、使い勝手はブログと同じですね。覗いて見てください。面白いです。ここの管理者、大家さんは“がぶんさん”で、保坂さんとの連携プレイが見事で、お二人なら、色々な書き込み者を相手に消耗することはないと思います。結構、ずばりと物を言う方達なので、書き込み者の方が逆に様子を窺っているようなところがあります(笑)。ぼくも感応する範囲内で分をわきまえたレスをしているのですが、最近、ちょいと気になった記事がありました。保坂さんは『書きあぐねている人のための小説入門』を一昨年上梓して○万部位売れたみたいですが、この本書のあとがきにこうある。

しかしそれにしても、わたしにかぎらずいまの小説家はみんな読書からの反応のなさをつらく感じているので、好きな小説家には面倒くさがらずに感想文を書いて、出版社に送ってください。構えたものでなく、素直な感想が知りたいのです。

◆それで、実際、作家宛てに感想文が結構寄せられたらしい。でも殆どが『書きあぐねている人のための小説入門』の感想文であって作家の小説についての感想でない。そんなボタンの掛け違いを[2973]のエントリーで、説明して、みなさん、小説が面白かったら、ぜひ感想を書いてくださいとアナウンスしているわけです。ぼくはブログを始めて再認識したのですが、「とにかく書きたい症候群」の方が僕を含めて沢山、いらっしゃるということです。
◆それでも、小説を書くことまで中々思い至らない。それが、PCを玩具に遊び始めて、ネット書店に書評投稿を始めたら、習慣になって、日々投稿とまではいかないが、二、三日の間隔で読んで書くという作業を課したのですが、こういう方式では真っ当に本を読まなくなる。書評のネタ探しに本を読む倒錯に陥っているのではないかと、そんな自省が働き始めた頃にブログと出合ったわけです。そうすると、随分、簡単に自由気儘に書ける。こちらで書くほうが面白いと単純に思いました。おまけにトラバとか、コメントもつけてくれる。今のところ危惧したあらしもない。まだ、一年未満ですが、どうやらハマっているみたい。
◆とくに若者にとって、「とにかく書きたい気持ち」は性急で、じっくり、小説家の小説を読むという行為が後回しになるのであろうか、「書く前に読む」ことに、発想が行かないのであろうか、又はそれだけ多くの問題を抱えすぎて書くことで問題を解決しようとしているのであろうか、しかし、小説の感想を述べないで、『〜小説入門』の感想文を書くとは、そのナイーブさに「ああ、そうだな、やっぱり」と腑に落ちました。他者が見えていない、自分のことで精一杯なのだ。掲示板のやりとりでもそういうのが多い。
◆しかし、保坂さんの言う「小説家に小説の感想を言う人がいなくて、批評を言う人だけがいる、という困った現状を直せるのは読者だけです。」は、簡単そうで難しい。感想と批評の違いがはっきりわからないのです。ぼくは昔、小説を書いている友達が書き上げた原稿を持ってきて読んだ感想を述べたのですが、彼は無言で、それから、十年位疎遠になった苦い経験がありました。どうやらぼくのコメントは感想でなく、競技場での闘いを観客席で無責任に批評する許しがたい言説と思ったらしい(又、交流が始まってから訊いたのです)。
◆でも、いまだに分からない。批評でない感想をのべることが…。ぼくが感想を述べたつもりなのに、作家は批評として受け取る。その陥穽を回避しるのは本当に難しい。bk1でも書評投稿しましたが、そのへんの微妙な勘所が分からなかったですね。プロの書評家は勿論、批評と割り切って書いているのでしょうが、ぼくは、又他のbk1書評者の方でもそのあたりの問題を意識していましたね。読んで気分が高揚した作品にレビューをつける。そうすると、想いが大きいから批評どころではないのです。その余韻で書いてしまう。多分、それが作家への感想文になるのかと最近は思っています。そうすると、殆ど、古典しかないのですね、新刊書評投稿はめったにしなくなりました。というか、出来ないのです。まあ、「読むこと」を精々楽しみます。
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