アーカイブ酔い(2004年4月6日より転載)

bk1をノックしたら、『ライトノベル特集』をやっており、ぼくのレビューが紹介されていた。この『新現実』の創刊号は大塚英志東浩紀の共同作業だったのに、今や二人は別れ、大塚英志単独で、三号まで発刊されている。二人の共同作業から何が生まれるか、そのことが一番の興味と期待だったのに、かえすがえすも残念である。

新現実】創刊号を還暦間近いジジイは「お呼びでない」と恥じらいつつ買ってしまったのは東浩紀×大塚英志の対談「工学 政治 物語」を読みたかったからである。かって、「批評とおたくとポストモダン」(小説トリッパー2001夏季号)で、ふたりは現代思想の今をジジイにも腑に落ちる説明をしてくれたし、今度もふたりして、ジジイの頭を風通し良くしてくれるのではないかと期待したわけである。特に大塚は吉本隆明との共著〔だいたいで、いいじゃない〕で(エヴァンゲリオン)を生真面目に鑑賞した吉本に懇切丁寧に解釈し、その説得力に吉本のみならず、私も首肯したのであった。だが彼の解釈で何となく見たような気になり、未だに未見であるが、本音は恐ろしく忍耐力を要するアニメだろうと、危惧するからである。福田和也と9.11以降を語った対談も意識的に東(右)と西(左)の立場を明確に、ただ倫理の一点だけは踏み外さないで真摯に問題の有り様を炙り出してくれたし、大塚英志は対談の名手だなと常々思っていた。それに東浩紀著〔動物化するポストモダン〕の「動物化」が気になっていたのだが、さすが、大塚はそれは19世紀末フランス自然主義のゾライズム的な人間観で人間を「動物」として生物学的に記述する態度と変わりないのではないかと言う。まあ、大塚が物語の側から東は工学の側から四つに組み、何とか中央の政治の場に引っ張り出そうと面倒見の良い大塚が「倫理」「作家性」「固有性」と様々な言葉を東に投げつけるが、彼はシミュラークルな主題のない物語(情報工学)で抵抗する。近い将来、東以降の若い世代は年寄り達の付けを背負わされるのが目の前に見えるのに政治にコミットしなくても、やり過ごす事が出来ると高を括っているのか、余りに絶望が深いが故にホワイトアウトの状態で微かに発信する生理的欲望だけに反応しているのか、ホンマにジジイには判らない。フィギャア人形、ギャルゲーに向かう欲望の構造も判らない。「セキュリティか自由か」の二者択一ではなくて、個々人が「倫理」を持たなければ自由なんて有り得ないし、そこから生じる責任がセキリュティを保証する。倫理は「美」「内在規範」なのだ。だから、若い人達に言える事は早く自分達の「倫理」(大きく無くても良いソコソコの物語)を作らないとヤバイという危機意識を老婆心ながら、持って欲しいと言うしかない。メインカルチャアとサブカルに接木して見通し良い視野を持っている大塚は若い子達の尻に火を付けて【新現実】の舞台に押し上げ彼らに意味ある言葉を喋らそうと企んだ心優しい演出家なのかもしれない。御健闘を祈ります。でも、やっぱ、このムックは私が買うべきではなかったのかなあ……。どうか、若い人達、買ってやって下さい。ー拙レビューよりー

◆改めて今、読み直すと多少なりとも僕の考えは変遷している。まあ、還暦後でもあるのだが、「倫理」「美」「内在規範」っていう言葉が目立つ。これらは言ってみれば、手続きとしての、又は形式民主主義システムを支える装置化出来得ない、いわば「情念」とか「恥」とか内在に強調した規範で、それは、例えば、田中正造の「直訴」に近いものだと思う。このあたりの考察は、北一輝や、この国の天皇制にも繋がる問題を含んでいる気がする。原田達さんのサイトBBSで、葉っぱ64として、関連あるカキコをしました。興味ある方はどうぞ、

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