銭湯MAP東京―銭湯へ行こうデータ編ヌルイコイ

全身小説家井上光晴の娘、井上荒野の小説を読むのは初めてです。ぼくがよく訪問する“とみきち読書日記のブログ”で荒野さんの書評があったので、頭の隅にインプットされていたのか、『ヌルイコイ』ブックオフで手に取り捲ってみたのです。そうすると、銭湯と言う文字が一杯、飛び込んでくる。どうゆう文脈で銭湯屋さんが描かれているんだろうと、興味を持ち、ゆっくり確認したくなったので、まあ、百円ということもあるのですが、気軽に買いました。東京時代は毎日のように銭湯に行きました。こちらに来て、一番の不満は歩いて行けるところに銭湯がないことです。内風呂とは全然違う銭湯文化ってあるんだと思う。漱石を始めとして日本近代文学を銭湯で渉猟しても、結構、印象的なシーンが検索できるはずである。勿論、温泉をキーワードとすれば、あまりに多くの文献が見つかるだろう。でも、「温泉文学」と「銭湯文学」とでは、別物って感じがする。銭湯は郊外にも、田舎にも似合わない。都市伝説の溜まりの場っていう不可思議な磁場がある。ぼくは今だに「東京銭湯マップ2000」の小冊子を引越しの時にも捨てないで、愛用している。週刊誌大で区別のマップで書き込みもし易いすぐれもので、貼り付けたメモとか、私家版東京地図帳として調法しているのです。荒野さんのこの本は、競輪が開催される時だけ活気付く場末の町の銭湯を舞台に「ヌルイコイ」を描いていく。ただ、おばあちゃんと若者のコイ?は、あんな結末で落としどころをつけたのは、安易過ぎた感じがする。最終章でバタバタと予定調和が余韻もなく進行したのは、それまでのゆったりとした物語の流れに、無理してくっ付けた不自然さを感じた。始めに結末は仕上がっており、後でドッキングさせた、そんなズレの切り口が見えるラブストーリーで、もっと別な物語があったんではないかと、ひょとしてこれは笑劇なのかと、恋愛劇にしては愛すべき鳩(若者)のカタチが茫洋として見えないのです。まあ、一様、ぼくが始めて体験した「銭湯小説」ですと、命名することで感想に替えます。無性に銭湯に行きたくなったことは間違いありません。「ヌルイ湯」に長時間浸かって、ぼけーとしたい。風呂上りにコーヒー牛乳を飲むのです。瓶の蓋の付いたやつ。
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