銭湯/夢声戦争日記 第2巻 昭和17年 (下) (中公文庫)

前日さわこさんが、大阪では銭湯とは呼ばないで「お風呂屋」さんと呼ぶと言っていましたが、東京でもそうみたい。でも、僕が東京にいる時はもっぱら、銭湯と呼び習わせていた。考現学として多分、風呂は蒸し風呂から来て、風俗辞典(東京堂出版)によれば、八瀬の窯銭湯風呂に蒸し風呂の原初形態があると言う。銭湯は本来「洗湯」ではないか、湯屋としての先湯は、蒸し風呂に対して「…寺院おいて衆生済度のために大きな浴場を設けたのが始まり」という。のち民間の銭湯に発展。蒸し風呂と浴湯が混同されるようになったのは江戸時代中期かららしい。共同浴場や営業浴場は早くからあった。『枕草子』、『吾妻鏡』など。(風俗辞典)

昭和17年7月6日(月)……/「まき屋は儲かるからいーやイ」という坊やの言葉も聴えるので、私は面白くなり、紙と鉛筆をもって、こっそり階下へ降りた。母子の会話を速記して随筆の材料にするつもりであった。覗いて見ると、坊やは危なっかしい手つきで鋸をゴシゴシやっている。私がいるとやれない事を、今や実行して大得意の態だ。この鋸は隣家の御風呂屋さんの商売道具を借りている訳なのだ。もし歯こぼれては悪いと思って、さっき坊やがゴシゴシやりたがってるのを叱り飛ばして断念さしたのである。そこで坊やはナタを出して貰い、薪を横にして、コツンコツンとやっていた。鉈の歯を目茶にしてしまうので、それも叱りつけて止めさした。所で、私がいなくなったので、無理にせがんで今ぞ目的を達している次第だ。ー徳川夢声著『夢声戦争日記(二)』(中公文庫)ー

映画の『アフガン零年』は水風呂のシーンが効果的に使われている。
メルさんのレビューでは「水と女」をキーワードに面白い論考をしている。
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