内田樹研究室

◆どうして「学ぶから降りる」ことが自己満足や自己肯定に結びつくのかその理路がわからないと、苅谷剛彦『階層化日本と教育危機-不平等再生産から意欲格差社会へ-』(有信堂)を頭にして論じているのですが、山田昌弘希望格差社会』といい、この十年近く、この国で進行しているのは、オルテガ『大衆の反逆』や、ニーチェが絶望的な筆致で記述した「大衆社会」がこれから本格的に始るのかも知れないと確信してしまいました。だって、僕の周りでも、マットーな本を読まないことを自慢げに語る若者は沢山いるし、ひきこもりでもなく、中学校から不登校で勉強する時間がムダだと、独立心旺盛でラーメン屋のあんちゃんになったが、彼は自己肯定感が旺盛でベンツを乗り回している。むしろ、「学ぶことから降りない」若者達の自己不全感が痛ましい。『希望格差社会』によると、「二十年後には、滞留したままラインに乗ることができない中年のフリーター博士が十万人を越える規模で出現すると私は予想する。」(167頁)と山田昌弘は予言する。そんな知的環境の外堀で、早々と学ぶことから降りるのは正解かもしれないと、戯言を言いたくなりました。⇒参照:Archives - 内田樹の研究室♪[bk1特設内田樹の思想]
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