出版流通諸々

 例えば、『風の旅人』のようなクラスマガジンを大取次ぎを通して適正配本しようとすると技術的な困難が伴う。マニュアル化されたコンピュータ配本では少数の大出版社、中堅出版社で全体の出版売り上げの九割を占めるマッピングの中でデータ処理しているから、一割は見えないものとして排除している。それは資本の論理では仕方がない。僕は取り次ぎでアルバイトをしたこともありますが、恐らく日本一の大きな流通倉庫でしたが、僕が欲しい本はめったになかった。取次ぎにあるのは専門用語で「在庫」で、なくて出版社にあれば「非在庫」です。両方ともなければ、端末上では「在庫無し」です。でも、本当にないかと言えば、ある場合がある。
 それは返品倉庫なのです。ここは書痴人にとって宝の山です。僕の友達がこの取次ぎの返品倉庫で働いたことがありましたが、絶版でとても手に入らないものが、ダンボールの中に眠っていたかのような発見がよくあるとのことでした。出版業界で返品率の高さについてよく言われますが、実際に断裁までいって紙屑になるのはそんなに多くはないのです。数%でしょう。だから、過半数の返品率ですが、返品されたものが、再利用というかたちで磨きをかけて、版元、取次ぎ、本屋に行ったり来たりするのです。そんな流通経路ですから、返品されて小部数の小出版社の本はロットで纏まらなければ、返品倉庫に滞留する事態になる。実際、新刊配本の作業と違って返品倉庫の作業はどうしても時間に追われないのでダンボールの状態で保管されることになる。そんな経緯なので、返品倉庫に稀少本、珍しい本が転がっている事態になるわけ。この事例も再版維持制度が生んだものです。

 『風の旅人』でした。かような少数の人々をターゲットにしたクラスマガジンは再版維持制度のもとでの日本独特の出版流通制度からこぼれ落ちるのです。そんな隙間を埋めるために神田に地方出版流通センターがありますが、一番、ムダがないのが通販でしょう。でも、雑誌の通販はまだまだ馴染みがない。一部、新聞社の出版物は専売所を通して配達しているのもありますが、地域に密着したリアル書店の配達機能がもはや死に体で毎年、一千軒もの街、村の本屋さんが消えている。
 そんな流れでginzburgさんの言うようにネット書店は売り上げを伸ばしてきたし、1500円以上は配達料無料という原則は使い勝手の良さでネット書店の底上げを進行させるでしょう。ただ、書籍はともかく雑誌に関してはネット書店はスキル上の問題があるのか、腰が引けている。雑誌は書籍と違った流通経路を開拓する必要があるのでしょう。通販と言ってしまえば簡単ですが、ネットが頼りにならないとしたら、コンビであるが、『風の旅人』のような雑誌はコンビは最初から対象外。
 ならば、セレクトショップであるが、このセレクトショップの実態調査はなされていないのではないでしょうか、古本屋ガイド、新刊本屋ガイドなどの本はあるが、「ブック・ギャラリー」、「ブック・カフェ」、「児童書専門書」、「ブック・ホビー」、「アート、写真専門店」、「恵文社一乗寺店」「calobookshop・&cafe」「三月書房」「ブッククラブ回」のようなこだわり本屋(セレクトショップ)とかを網羅した適当な情報本が想いだせませんね、何かありますか?『風の旅人』はそんなセレクトショップに向いた雑誌なんでしょうね。
 かって『ガロ』という雑誌がありました。『「ガロ」編集長』(筑摩書房)によると、(旧ブログより一部転載)

胸を患った貸本の版元が「自分にはしたいことがある」と言って白土三平への肩入れが「ガロ」の誕生であろう。重症の結核で病院で寝ながら、それまでの人生をふりかえってみて、長井勝一は、もし生きのこったら、これからの人生を白土三平にかけたいと思った。彼は有名マンガ人に声をかけなかった。新人がもちこむマンガを見て、その絵のたくみさを重く観ない。絵のコマワリ、つまりすじの展開とリズムに注目する。そこに力があれば、絵はあとからついてくる。有名マンガ家とその弟子たちがつくる垣根を、この基準によって『ガロ』はこえた。この雑誌の編集室にはいつも若い人が来て、仕事を手伝っていた。給料をもらっている編集者ととりまきとの区別がつかなかったようで、編集者から、南伸坊渡辺和博、とりまきから、評論家四方田犬彦、筑摩の松田哲夫、映画監督の森田芳光が出ている。

大学生がマンガを読む時代は、ガロがまねいた。ガロから由来する京都今出川通りにあるスナック喫茶店『ほんやら洞』は、いまでも、当時の雰囲気佇まいのまま、営業している。そうそう、筑摩の現代漫画全集が箱入りハードカバーで出版された時、ぼくは現役の書店員でしたが、いつも、思想書とか、フランス文学、何かを購入してくれる、常連さん達が、同じノリでこの漫画全集を購入してくれた。そんな学生達に影響されて、つげ義春の『ねじ式』 を知りました。鶴見さんはこんな冗談を言っている

ねじ式の主人公が「メメクラゲ」にさされたという突拍子もない吹きだしが出てくるが、これはもとの画では「××クラゲ」だったそうである。植字工にまちがいによって、この世に「メメクラゲ」という新しいおばけが送りだされた。やがて「メメクラゲ」という名の喫茶店も実物としてこの世にあらわれるかもしれない。

「ガロ」は金のない版元だったので、誤字、脱字が多かったのです。時代もコンセプトも資金力も『ガロ』と『風の旅人』とは違うけれど、こだわりをもった雑誌つくりは辛抱強く継続すれば、一人一人の積み重ねで静かに羽ばたいていくのではないでしょうか…。