ゴミニュケーション楽しいペットボトル&空き容器クラフト

今年、当番が回ってきた自治会の僕の大事な担当の仕事は「クリーニング作戦」です。今月末、街の人々200人ぐらい動員して大道り、路地裏を清掃です。前日に引き続き武田徹日記を親記事に僕なりに書いてみます。武田さんの5/16のスレは「分別」です。中国の反日デモで大使館目がけてペットボトルが投げ込まれましたが、あれは、ちゃんと飲み干して、空だったらしい。ならば、ゴミのポイ捨てなのか?何か底に合理的な経済行動がある。出口のない狂気の行動、もしくは資本主義の浸潤に物申すのなら、ペットボトルの水を一滴も飲まないで、身銭を切って放り投げるでしょう。そこに強烈なメッセージを与えることが出来る。でも、そうじゃあないみたい。武田徹は結語として、

そんなことを考えて改めてあのデモは何だったのかと思う。やっぱりスマートモブズだったのかも。インターネットが反日デモに関与したというのは、コミュニケーションツールとしてナショナリスティック名行動をたきつけるメッセージを流したと言うことではない。そうしたシンプルなメディア観ではなくて、むしろメッセージの「内容」をインターネットの「形式」が方向付けているとぼくは考える。メディアそのものがメッセージというマクルーハン理論が、ここでは符合する。

インターネットの形式がsmartmobs、軽いノリの野次馬暴徒、サブカル的な“国家意識なきナショナリズム”を呼び込んでいるのか、インターネットというメディアがそもそも、“国家意識なきナショナリズム”的メッセージ、コンテンツを内包しているのかもしれない。
ネットが国家を超えて国境を越えて体制を超えて、思想・宗教を越えてネット・ネーションと呼ぶしかない言わばマルチチュードが到来する予兆かもしれないし、それはアメリカグローバルリズムの勝利の別の顔かもしれない。
先日、テレビで横浜市長中田宏が横浜のゴミ作戦について自画自賛していました。横浜では今、分別が10分類です。分類の仕方を覚えるだけでも多少の学習をしなければなりませんが、一度覚えてしまえば、ルーティンワークですから、そんなにトラブルはない。それどころか、自治会員同士でゴミを通してのやりとりの中からコミュニケーションならず“ゴミニュケーション”が生まれてコミュニティの回復のきっかけの一助になっているという。一番、大きな効果はこの作戦によってゴミが三割削減されたことによって、ゴミ消去炉の建設が一基取りやめになったということです。一基建設には170億円もかかるんですって、成程ナットクの施策です。まあ、自画自賛を許しますか、