まわるまわる旅人

多和田葉子の『容疑者の夜行列車』は今、あなたを乗せてどこを走っているのだろうか?人の血管の長さは地球を二周半めぐるなら、生きている限り、それは又、めぐる。めぐっても同じ血、同じ細胞ではないだろう。夢の中であなたは両性具有者でもあり、あらゆる言葉を喋り、どこにもない言葉で書かれた奇妙なパスポートを持参している。いつの間にか、少年の写真が貼られている。でも、乗客はとやかく言わない。ふと、夜の窓ガラスに映った目の前の老人が女の姿になっている。

眠りの中では、わたしたちは、みんな一人っきりではありませんか。夢のなかでは、窓から飛び下りてしまう人も、出発地に取り残されたままの人も、もう目的地に到着してしまった人もいます。わたしたちは、もともと同じ空間にはいないのです。ほら、土地の名前が、寝台の下を物凄いスピードで走り過ぎていく音が聞こえるでしょう。一人一人違うんですよ、足の下から、土地を奪われていく速さが。誰も降りる必要なんかないんです。みんな、ここにいながら、ここにいないまま、それぞれ、ばらばらに走っていくんです。(…163頁)