90年代以降は風俗として無視する時代精神を持っている知人の送られた小説原稿

東京の友人から電話があり、推敲した小説を読んでくれと言う。四百字詰原稿百枚の書き下ろしを去年ワープロ印刷されたのを読んだのですが、僕の反応が芳しくなかったためか、それとも、彼自身、気になることがあって半年かけて推敲したものと思う。
数十年前の多分処女作だと思う同人誌発表の作品とほとんど変わらないモチーフに支えられた作品で、彼にとってこの数十年は何だったんだろうかと思う。
古い記憶を辿れば、中上健次が『枯木灘』でデビューしたとき、嫉妬したと興奮していたが、それ以降の作家、二人の村上にしろ、高橋源一郎にしろ、僕と違って興味を掻き立てられず、彼の日本の現代作家の読みは中上健次でほぼとまっている。金井美恵子や、丸山健二松浦理英子辻邦生などの名前が出ても、両村上は勿論、高橋源一郎島田雅彦保坂和志堀江敏幸町田康吉田修一舞城王太郎など、80年代以降にデビューした作家の作品は殆ど読んでいないし、90年代デビューの作家は読む気もないみたい。僕が保坂和志について触れると、作品自体を読んでいないので、話が噛み合わない。新潮連載の『小説をめぐって』を紹介しても、サルトルの『文学とは何か』で自足している。町田康阿部和重となると、名前さえ知らない。最年少で芥川賞を受賞した女の子の名前を彼が知らないならまだ、ナットクできるのですが、90年代のメインストリートを駆け抜けている中堅作家の名前さえ知らないのです。まあ、その確固たる自信、信念は彼の小説世界の拠所なので、あんまり直截に言いにくい部分があります。
“生と死”を真正面から対峙した青春小説と括ることが出来る明晰なメッセージは伝わります。彼の世界観は単純です。“死”という有無を言わせぬものを、書くことの、生きることのポジションにしている。そんな彼から世界を見れば、政治も、生活も俗情に支えられた風俗に過ぎず、例えば村上龍は風俗作家として無視される。まあ、修行僧として書き続ける作品なので、繰り返し繰り返し同じモチーフで推敲されるのでしょう。

去年、原稿が送られた時、ワープロで書いたのであったなら、フロッピーか、CD−Rに保存されているはずだから、彼はパソコンを持っていなく、このワープロを友達から貰ったらしい。
一歩ITの世界に入ったのかと思ったので、彼にわざわざプリントアウトしなくていい、フロッピーに保存しているなら、その小説をネットで公開するのも簡単だし、僕自身、保存なり、読むに使い勝手がいいと、フロッピーで送るようにとのIT講釈を前回したのです。
しかし、そういうネットの世界は全く興味がないのか、僕の手元にフロッピーでなく印刷原稿が送られてきた。僕だけが読んで彼に感想を述べるには読み手としての自信がない。時々、ネットで書評投稿しても読み手の自信からでなく、僕自身の読書日記の保存箱としてネットを利用しているだけで、非常に私秘的なもので、彼の全力投球の作品に対して、僕の言葉に何らかの拠所を求めているなら、無責任なことは言えない。
かって文芸誌に投稿を薦めたことはあった。二次選考まではいったらしいが、最終選考まで行ったことはないと思う。でも、彼は自信満々、彼の信念はたじろかない。その無垢な信じ方がひょっとして、選考委員も僕もおかしな読み方をしているのではないかと、ちょっぴり自信がなくなる。
そもそも、僕自身が読み手として信頼していない部分があるので、彼の信念に影響される。まあ、そんな僕自身の頼りなさも一理で、今回推敲した原稿を電話でネット公開したらと彼にきつく提案したのです。「僕のブログを利用してもいいし、ちゃんと、ネット小説を受け入れ公開しているサーバーもあるから、フロッピーで送ってくれれば、こちらで色々と工夫をするよ」と言ったわけです。

ところが彼は思わぬ台詞を電話で吐いたのです。「第三者の目には触れさせたくない」って、第三者とは何だろう、僕の世界観には「自己と他者」はあっても、当事者、第三者っていう概念はない。法律用語としての技術概念ではないか、彼がどのような文脈で第三者を持ち出したか分からぬでもないが、この世に第三者は存在しない、それぞれの生を生きている当事者なんだという無前提から出発しないと人々はリアルに立ち上がらない。
小説家は第三者を仮構して排除し、その上で作品つくりをするのだろうか、まあ、僕は友人にとって第三者でなく当事者として認知されたのですが、どうもナットク出来ない。当事者/第三者のどこにも僕はいない。いるとしたら、自己/他者の入り乱れた、二分法でスラッシュ出来ない、脳と身体が切断出来得ないようにひとつのものとして在る「生きる場」でしょう。少なくとも、彼の文脈での第三者が彼の小説を読むことによって、当事者になり得る。そのような奇跡がおきうるかもしれない予感がなければ、何故書くのだろうか?僕宛の書簡でないはずだ。
参照:『風の旅人』編集だより :現代芸術って?