悪所でありえた大阪万博

 愛知万博はどんなことをやっているのか、万博と言えば、オヤジの連想は大阪万博です。延入場者数は6421万人。その中のひとりだったというわけ。もう既に35年前で、1962年にアポロ11号が月から持ち帰った「石」(アメリカ館で展示)を見たかどうかも記憶にない。今、椹木 野衣著『戦争と万博』を読み終わったのですが、大阪万博ってこんな歴史的経緯があり、「人類の進歩と調和」のテーマソングが鳴り響いて、日本万国博覧会「エキスポ’70」は国家的事業だったんだと痛感する。1968年のパリ五月革命全共闘運動、そして70年は三島の自決と時代の大きなターニングポイントだったことは教科書的には理解はしている。本屋の店頭で公式ガイドブックなど、万博がらみの本を一杯売った、かすかな記憶はある。でも三島事件三島由紀夫の本の確保に奔走した鮮明な記憶ほどにはない。
 でも、とてもとるにたらないかもしれないが、恐らく今回の愛知万博では考えられないエピソードがあるのです。この本でも、他の本でも“そんなスポット”があったなんて記事を読んでいないので、引用はできないのですが、まあ、言って見れば「番外編パビリオン」っていうやつですね。
 どこのパビリオンも長蛇の列で好い加減うんざりしたところ、どこから情報を仕入れたか忘れましたが、パビリオンで働くスタッフ、コンパニオンたちが主に仕事を終えて集うスポットがあると聴いて夕方そこへ一人で入り込んだのです。
 ロックが流れ、若者たちが踊っていた。隣にブロンドの女の子が居た。僕の英会話は中学生並なので、心許なかったが、それでも、カナダ館で働くコンパニオンだということはわかりました。フロアーで踊っているのはえ〜と、モンキーダンス(古すぎる)でなくてゴゴーダンスなのに、カッコウつけて彼女に「シャールウィーダンス?」(アホか)って言ったのです。「WHY NOT」(?)と言われて、ノットだからフラれたんだとその程度の語学力だったのですが、彼女はフロアに出る。そうか、ワイノットはイントネーションによって「いや〜だ、でも(いいわよ)」ってことか、女の子はめったに「YES」何て言っちゃいけない、冷静になって後でそんな風に解釈したのですが、兎に角、カナダ館のコンパニオンと踊ったのです。それが、オヤジの万博の思い出です。
 愛知万博にはそんな悪所のスポットがないでしょうね、大阪万博にはそれがあった。だからこそ、岡本太郎太陽の塔がありえたのか、

 岡本太郎が、「芸術は爆発だ」ならぬ、「曲げれば芸術だ」というとき、事態はおそらくクリナメンのような運動を指している。というのも、古代ヤマトから近代日本に至る中央集権的な直線的思考にかわるものとして網野史学が着目するのが、日本列島の随所に見出せる山脈、盆地、湾、海岸、半島、湖沼、河川といった地形に由来する、ヒエラルキーでは捉まえられないモナド的な多様性と、それにもとづく歴史の再解釈であるように、岡本太郎がその「日本再発見」で見出したのも、東北から沖縄に至る列島の自然が地勢学的に保存してきた、近代芸術に回収することのできないバロック的な「呪術」にほかならなかったからだ。
 日本列島を捉まえる浅田孝が、近代的な直線思考に由来する限界を乗り越えんとして、よりフレキシブルな「環境開発」の必要を説き、それにもとづいて具体的な列島改造を唱えながら、最終的にはそれが、中央集権的な官僚制の手に落ちてしまったことの背景には、おそらく、浅田の思考におけるクリナメンの欠如が挙げられる。浅田の思考はたしかに正しい。しかしそれは、ほかでもないその正しさゆえに、思考の均質空間を垂直に落下するばかりで、けっして予期でき(葉っぱ注:“ない”ではないか)アクシデントを孕むことがない。そしてそれゆえ、彼の思考は決して、自然界の地平や気象現象がときに持つような、創発的な飛躍というものをもつことがない。それは、田中角栄の「日本列島改造計画」が、その高いこころざしにもかかわらず、いつのまにかゼネコンと官僚がはびこる「公共事業」へと姿を変えてしまったことと、パラレルな関係にあるだろう。
 これまで、わたしたちが建築や美術を通じて見て来た「万博芸術」もまた、同様なのだ。それは確かに越境する。境界線を融合し、多様な統合を実現する。しかし、そこには揺らぎがない。それは、けっして曲がらないのだ。であるがゆえに、最終的にそれは、奇矯な明るさのまま、けっきょくは国家の手に落ちてしまう。唯一、岡本太郎だけが、万博にまるごと呑み込まれながら、みずからの手によるパビリオンが、万博のテーマを飾るという本来の目的から曲がって、なにか得たいのしれない瞬間を生み出すことに賭けていたとはいえまいか。実際それは、「目玉男」とダダカンという、クリナメン分子そのものというべき予期せぬ動きをなす行動者を呼び寄せ、大阪万博の標榜した「人類の進歩と調和」を、一瞬にして覆してしまったのである。
 そのとき、あらゆる権力が廃絶した別の「未来」を夢見ながらも、関東大震災という究極のダダイズムによって道を絶たれた大杉栄の「精神」は、戦争から帰還したダダカンの裸体に「転生」し、後に大陸に渡った甘粕の暗躍した満州国にも由来する戦時概念である「環境秩序的な造営精神」に支配された万博を打ち破り、地上に一瞬、全きアナーキーを実現したのではなかったか。
 まさしくそれは、万博会場を舞台とした、関東大震災後最大の「揺り戻し」であった。(285〜7)

 淺田孝の言う環境は、斎藤貴男武田徹のいう「安全・安心」に近いものだろう。ノージックアナーキー最小国家ユートピアに置いて“事を成す”志向性にユートピアを夢見てしまう、そのことが、満州国を作り上げたり、戦争を呼び込んだりするのか、ユートピアの反転はアナーキーなのだろう。何故、日本は常任理事国になりたがるのか
 浅田彰の叔父さん浅田孝が第一章「爆心地」の建築(淺田孝と〈環境〉の起源)で登場するのですが、彼の“ポスト建築”のモチーフは“未来の廃墟”を受け入れるか、(原爆時代)、乗り越えるか(原子力時代)、を直截に問う。彼は戦時中、海軍設営隊長として呉にあって、原爆投下直後の広島へ救助活動におもむき、その体験から彼の都市計画の原点があるみたい。浅田のテーマはいまだに有効である。そのことのために本書が上梓されたといってもいい側面がある。このまま、滅亡の未来を受け入れるか、結局そこのところに帰着する。
 その淺田の屈折が磯崎新粟津潔にも流れる。そして、彼らは当事者であり続けた。岡本太郎もしかり。でも、愛知万博には何があるのだろう。見えないですね、そうか、可愛いロボットの受付のおねえちゃんがいるのか、それよりか、コンパニオンの女の子と踊れる方がいい。ゴーゴーの祭り場所(アジール)がありました。
 本書であとがきにかえて椹木は核の時代を書く。ルニット・ドームが「核戦争以後」最大の“ポスト建築”にしないために…。
 参照:雑誌『談』編集長によるBlog : ひねくれ者の繰り言