老人力

椹木野依の『戦争と万博』は色々と記憶を掘り出してくれます。第七章「ダダカンと“目玉男”」で読売アンデパンダンの「美術革命」の流れの中で東京オリンピック前年に中止となり、「都市美化運動」、「変質者取り締まりキャンペーン」が大々的に行われるのですが、東京オリンピックが開会した同じ10月に赤瀬川原平、谷川晃一らの「ハイレッド・センター」による「首都圏清掃整理促進運動」が銀座並木通りで白衣とマスク、清掃道具を持って実際にお掃除をする。不審な集団によるあからさまなパロディなんですが、近くに通りかかったパトカーに激励されたという。(p244)
赤瀬川さんは変幻自在ですが、一番、最近(といっても数年前)、読んだ本は『老人力』で確か紀伊国屋ホールで嵐山光三郎との「ライブ老人力?」をビデオでも観ました。しかし、今どうしていらっしゃるのだろうかと、お元気なんだあろうかと、気になります。そんなこんなで、検索すると、
ほぼ日刊イトイ新聞鶴見俊輔、椹木野依、糸井重里さんらのコメントを紹介しているが、データ日付は1998年ですね。「老人力」からもう七年なのか、しかし、鶴見さん自身も大老人ですが、吉本隆明<老い>の現在進行形三好春樹との共著)などを評価しているみたいだし、まあ、僕も老人の仲間入りだから、意識して老人について考えようと、今日から「老人編」を新たにエントリーしました。三好春樹は介護のカリスマみたいな人ですが、彼のキャリアも面白い。吉本さんはとても素直に耳を傾けている。気功もやっているみたいです。気功、ヨガは入門の入門で区の文化サークルで参加したことがあるのですが、又、やりたくなりましたね。

人間の生涯で大切なことは二つしかない。一つは老人を経済的に安定させて、少なくとも世話をしてくれる人を雇えるくらいの余裕をもたせる。もう一つは妊娠した女の人に十分な休暇と給料を与えて、十分な子育てができる。この二つができたら歴史は終わり。あとはたいしたことはないし、「どうでもいいよ」ということになると思います。そういうことをやってくれる政党とか政治家が出てきたら、万々歳というべきでしょうが、今の段階ではそういう可能性な見えないですねー吉本隆明著『老いの流儀』(109頁)ーより

その通りだと思うが、当事者たる爺が言うと、ふんとソッポを向かれそうですが、女の人と共闘してそんな世の中が出来るように地道にメッセージだけでも発信し続けたいものです。ヨガでも、太極拳でも気功でも、イラチの僕は結構、マイナスのエネルギーを出力するには物凄くムツカシイ。食事をする時にもゆっくりと噛む。話す時もゆっくりと喋る。何でもゆっくり、佐伯剛さんのオススメの本、梨木香歩著『からくりからくさ』を読んでいるのですが、そのゆっくりした文体に僕のイラチのリズムに同調させるまで、百頁はかかりましたね。今、やっと面白くなり始めたところです。しかし、赤瀬川原平の生き方にしろ、本書にしろ、[陰陽]って言うことを考えますね。中学校の頃、柔道の道場に通っていたのですが、白髪の道場主が子供達に手拳でスイカを割らせてその割れ目で、陰陽の判定をした。僕の番が来てスイカを割ったら、[陰]の判定が出た。今だったらどうだろう、陽の判定が出るかもしれない。“老人力”という言葉は陰であると同時に陽である。恐らくイラチ(陽)であっても陰であるのが真相であろう。陰陽が同衾している状態がもっとも心地よく、“生きている”実感があるのであろう。
花田兄弟をテレビで見ていると、陰陽が引き裂かれた無残さを感じる。
 ◆追伸:倉橋由美子訃報のお知らせhttp://www.asahi.com/obituaries/update/0613/004.html
 僕が最初に文学書なるものを意識したのは倉橋由美子でした。
 今、ぽまさんからのメールで訃報を知りました。合掌。
 僕の倉橋由美子2005-05-27 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」