地下構造ダイビング

京都市防災センターに行って体験学習をこども達と混じって楽しんできました。ヘリコプターが展示されていたので、操縦席にのって色々と触ってきました。担当者がいくらと思いますかと質問されたので、五千万円と答えると笑われました。ひえ〜、12億円ですって、もちろん、一機の値段です。
最近、あまり更新されていませんでしたが、アップすると、その直截なストレートを味わうことの出来る後藤和智氏の「若者報道から見た日本」が久々に炸裂していましたね、今回は吉田司ですね、まあ、僕は吉田司のことはあまり知らないのですが、後藤氏の言葉は説得力があります。

戦後の我が国の爆発的な経済回復の起爆剤となったのは朝鮮戦争による特需だった(ちなみに最近の右派系の歴史修正主義者は、朝鮮戦争の特需さえも否定したがっているらしいが)。その結果がどうあれ、非戦・反戦主義の立場に立てば、我々が今立っている「戦後」が、他人の不幸に乗じたものを基盤とする、ということを考えると、それに対する検証もしなければならないだろうが、吉田氏にはそのような認識があるのだろうか。

このことは非常によくわかる。ぼくの生家は呉で商売をやっていましたが、終戦直後の喧騒が落ち着き、片山哲内閣が誕生し、旧軍港都市の寂れぶりが目立ち始めた。いつ倒産してもよい状態だったと聞く。そんな時、息を吹き返して商売を続けることが出来るようになったのは、朝鮮戦争による特需だったのです。こどもの僕にさえそのおこぼれに与った。アカ(銅)、鉄(釘を拾う)などをクズヤに持っていくといいお金になったのです。街にスクラップの鉄屑は一杯あったのです。何せ、戦艦大和を生んだ街ですから…。そんなスクラップを上手に工面して財をなしたあれこれの物語をこどもながら耳にしました。旧軍港都市は平和都市という大看板のもと(確か僕の記憶では戦後すぐの呉の市制で女性の助役がこの国で初めて誕生したのです)、苦心惨憺、道を模索していたのですが、アメリカという大きな傘のもとで、朝鮮戦争の特需の恩恵を目一杯受けた。僕の生家は倒産を免れた。そして、朝鮮戦争が休戦となり、今度は「仁義なき戦い」の街となる。そして、生家は結局、倒産しました。「戦後民主主義」は無謬ではないのです。

要するに、吉田氏をはじめとする左派系の歴史修正主義者は、右派も敵視する「今時の若者」と同じイメージを共有しているのに過ぎないのである。違うのは結論だけで、アプローチは完全に同じなのだ。右派系の歴史修正主義者が「今時の若者」の「対策」のために「戦前」を持ち出すのに対し、左派系の歴史修正主義者は「今時の若者」の「対策」のために「戦後」を持ち出す。

後藤氏の俗流若者論に対する批評はマットウですね。しかし、「今時の若者云々」はいつの時代にも言われてきた。床屋政談として挨拶代わりに喋るには構わないが、ちゃんと、若者達に向き合って、自分なりにデータ分析した深い思索の結果なら傾聴に値するが、そんな検証のない単に他罰の構造にのって勝手にスピークアウトする輩の言説は馬耳東風です。自虐史観がどうのこうのと言いますが、僕が一点、ぶれない定点と言えば、「自虐」です。別に歴史観だけの問題でなく、「自虐」を通さない針穴から「誇り」は生まれない。他罰を積み重ねてそれが誇りだと誤読している人がいますが、吼える犬ほど始末の悪いものはない。兎に角、何かに動員される前に自分の頭で考える癖をつけること、それは当然自己相対化の自虐に到る。痛い地帯で発言する。そこがスタートラインでしょう。安全地帯では、音楽を聴いてぼけ〜とする。
防災センターから「京都の地下構造と活断層地図」を貰ってきました。中沢新一の『アースダイバー』付録の「TOKYO EARTH DAIVING MAP」と見比べると面白い。京都と東京は都として全然違う成り立ちが見えます。