大衆の侮蔑♪64、ムシ、むし

大衆の侮蔑―現代社会における文化闘争についての試論

大衆の侮蔑―現代社会における文化闘争についての試論

ペーター・スローターダイク仲正昌樹『大衆の侮蔑』の紹介がうたかたの日々にアップされている。bk1に在庫があるかなと、思ってクリックしたら、小林浩さんがレビューアップしている。でも在庫は無し。さびしいなぁ…。ソネアキラさんが仲正昌樹さんの解説を引用しているが、まさに、状況はそんなもん、孫引用します。

「『大衆』とは、基本的に何ら“特別なもの”を持たない「平等者=同一者たち」の集合体である。『大衆』を構成する各粒子の間には自然な「差異」はなく、人為的に創出された『区別』があるだけである」。彼らは決して、自分たちよりも“高貴”なものの存在を認めない。『大衆』は、全ての「貴族」を自分(たち)の水準にまで引き下げ、自分の目線に合わせて“全て”を平準化(=同一化)しようとする。〜一部略〜平凡で、庶民的なものこそ大衆社会で目立つのである」

石川忠司の『現代小説のレッスン』(講談社現代新書)が発売されたんですね、≪陸這記≫の仲俣さんの記事はそそります。読みたいです。

この本は『ポスト・ムラカミの日本文学』以後の仕事のなかで、ぼくが考え落としていたり、考えることができずにいた広大な領域があることを教えてくれる。保坂和志の小説がめざしている「共同性の回復」をさして、「男子が一生をかけて追究するに足る切実な問いであろう」と書いているのは、石川さん自身の決意でもあるだろう。

他者を素直にリスペクトするアンテナは大切にしたいと思います。それは勿論、自分より高貴なものを受信する感受性が前提にあります。