甲斐扶佐義

毎日新聞の夕刊で毎月最終土曜日に論説委員池田知隆氏の『「団塊」探見』という連載記事があります。今回は京都今出川通りにある喫茶店ほんやら洞」の店主甲斐さんが写真つきで紹介されている。木屋町にある居酒屋「八文字屋」の店主でもあるのですが、どうやら近々閉店整理して1、2年後に古本屋を開業するらしい。
72年5月、フォーク歌手岡林信康らと作ったのが「ほんやら洞」なのです。もうあれから33年経ったのです。二つの店とも年中無休。実は「ほんやら洞」が開店した時は僕はすでに関東の人で、そもそも、学生時代はこのあたりの人だったのですが、卒業して以来、今出川通りに来たことはなかったのです。「ほんやら洞」の名前は知っていました。京都の若者文化の拠点でそこの店主。
でも、僕はもう若者ではなかったです。坪内祐三流に言えば1972年以降は“のっぺりとした時代”、でも五つぐらい年下の団塊の世代の人たちはまだ、若者していたんですね。
フォークが巷に溢れたのは僕が学校を卒業したからです。このあたりの仲間達は結束が強いみたいですね。メイン、カウンターを問わず、社会の中でそれぞれの強固なポジションをしめている。だからこそ、彼らがリタイアして第二の人生を始めようとしたとき、様々な波紋と大きな流れが一気に生まれるかもしれない。
実は今年の五月頃、僕は初めて「ほんやら洞」に入ったのです。だから甲斐さんの顔も知らなかった。友人の息子が京都の美大に通っているのですが、その息子が京都で開かれた司修の個展会場で撮影していた甲斐さんを見かけたと言っていましたが、僕自身、どんな人か全く知らなかったのです。
そして、今、店内で仕事中の写真と肖像を拝見すると、やっぱしランチの注文を聞きにきた無精ひげで、ぼくとそんなに体躯の変わらないおじさんが甲斐さんだったんですね、手書きの垢抜けしないメニューがわかりにくく僕はトンチンカンな質問をして、ちょっと憮然たる表情をしていましたが、ランチは素朴な味で安かったです。お徳感がありますね。でも真昼間なのに店内の照明は暗い。
『風の旅人』が一冊手元にありましたので、もらってもらいました。雑誌、本が乱雑に沢山並んで、チラシの類も一杯ありましたね。今度、古本屋をやるとしたら、手持ちの蔵書で珍書、奇書があるでしょうね、甲斐さんの写真集「八文字屋の美女たち」は毎年刊行されているし、写真集、著者も約40点ぐらいらしい。たまったネガが150万点と言うから、京都の路地裏を撮った写真も一枚売りしてもらえば、中々ユニークな古本屋さんが開店するかもしれない。今から楽しみです。
最後に池田知隆の「ちょっと一言」から引用します。

ほんやら洞」も「八文字屋」も、団塊世代が若いころに集い、熱く語り合った一昔前の学生街の喫茶店の雰囲気を今に残している。「嫌いなことはやらない」とボヘミアのように生きた甲斐さんの自由さが客をくつろがせてきた。それが消えるとなると、寂しい。「今、やっと大人になった感じ。これまでずっと子供だったが、それは写真の中に生きているのかもしれないな」。……

僕は33年目の「ほんやら洞」を始めて訪れたのですね、彼が大分の高校から同志社大学に入学したのが1968年で学生紛争の嵐が吹き荒れていた。彼は行き場がなくなりアルバイトと古本屋めぐりで過ごすうちに大学は除籍になる。彼の33年、僕の40年、過ぎてしまえば、早すぎる。京都に又ひとつユニークな古本屋が誕生ですか。